気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (前回から読む) 欲望の構造 愛するということは、すべての人が行う人間的な行為であるにもかかわらず、日本語の表現としてはどうも熟していない。「わたしはあなたを愛しています」という言葉を、生涯のうちに一度もつかわない人もいるかもしれない。「好きです」というのが、日本語としては標準的だろう。 だからここで「愛する」という言葉は、それぞれにお好きなように言い換えていただきたい。ぼくが考察しようとするのは、「愛する」という行為を支える欲望の構造なのだ。それを主語の人称を手掛かりに、一人称の「わたしは愛する」、二人称の「あなたを愛する」、三人称の「あの人を愛する」という順で考察してみよう。それぞれの愛は、どのような欲望の構造を背景としているだろうか。