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2023年3月31日のブックマーク (2件)

  • なぜ江戸町民は"1日40キロ"も歩けたのか (木寺 英史,かじやますみこ) | プレジデントオンライン

    江戸時代の人々は1日30~40キロ歩いていた。どうしてそんな長距離を歩くことができたのか。九州共立大学の木寺英史教授は「草履やわらじを履いていた頃の日人は、地面にかかとがしっかりとついていた。ところがを履くようになって、つま先のあたりに圧力をかけるようになり、歩き方が変わってしまった」という。ノンフィクション作家のかじやますみこ氏が聞いた――。 ※稿は、かじやますみこ『人生100年、自分の足で歩く 寝たきりにならない方法教えます』(プレジデント社)の第2章「正しく歩けば寝たきりは防げる」の一部を再編集したものです。 「腕振り、大股歩き」は、実は身体に悪い 【かじやますみこ(ノンフィクション作家)】木寺さんは江戸時代以前の身体運動文化を研究され、その成果を歩行などの動作改善の指導にとり入れているとうかがいましたが、昔の日人はどんな歩き方をしていたのですか。 【木寺英史(九州共立大学教

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  • 江戸時代の農民が「教育熱心」だった理由 50代の「教育ババ」が孫育てした

    江戸時代の農村は日史上、もっとも子育てしやすい環境だったというが「勉強しなさい!」と活を入れる教育ママはいたのだろうか? 子育ての歴史研究者が意外な事実を明かす。 子供を「大人4人」が教育し世話をした 「教育ママ」を定義するのは難しいですが、1つには「近代化の産物」といえるでしょう。身分制度が揺らいで流動性が高まり、多くの人が、社会的な地位を上げることが可能になった。競争社会に参入する人が増え、勉強すれば勉強するほど、カネや権力を手に入れられると考えることのできる時代が来たのが近代という時代です。 さらに、働き方という観点もあります。明治時代になると、人々が都市に集住し、父親が企業や役所に働きに出るかたわら、母親が専業主婦として家事・子育てを一手に引き受けるようになった。そうして「ワンオペ母親」が誕生し、子供を厳しく教育し、躾を行う「教育ママ」が広まっていったといえるのです。 それでは、

    江戸時代の農民が「教育熱心」だった理由 50代の「教育ババ」が孫育てした