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ブックマーク / counselor-blog.com (56)

  • 物理的な現実がもたらす「積み上げ」と「質的転換(カットオフ)」 - 悩みは、心の外にある

    昔読んだの中で、「プロは繰り返しの毎日」という言葉が出てきて印象に残っています。 繰り返し準備を続けて、パフォーマンスを維持したり、今までできないようなことができるようになったり、ということだったと思います。 ただ、トラウマを負った人にとっては、「繰り返し」には耐えれないだろうな、と思います。 それはふたつの意味で。 一つは、ガムシャラに努力をしてへとへとになってしまうということと、もう一つは積み上がる感覚がないために、そもそも繰り返しの先が描けないということ。 「これ以上どうやって努力しろっていうの?」という感覚。 (参考)→「あなたの仕事がうまくいかない原因は、トラウマのせいかも?」 その背景には安心安全の欠如があります。 世の中が理屈でできていて、1+1=2 になる、2×2=4 になるという安心感が薄い。 (参考)→「世界は物理でできている、という信頼感。」 だから、ガムシャラに努

    物理的な現実がもたらす「積み上げ」と「質的転換(カットオフ)」 - 悩みは、心の外にある
  • あなたは素直じゃない 怒りっぽい、という言葉でやられてしまう~本来私たちはもっと閉じなければいけない - 悩みは、心の外にある

    人間の「人格」とは、家に例えたら、塀であったり、壁であったり、ドアであったり、窓であったりします。 自分を守ってくれるために存在する。 その上で他社と交流する場(応接室であったり、玄関先であったり)を提供するものです。 私たちは、成長する中で、その「家」を作り上げていく。 しかもその家は、社会的な役割をまとって、「公的な建築物」としても機能するようにしていくことで、最後は完成します。 荷物も収納があるから収まるべきところに収まるように、家が完成することで私たちの精神も収まっていきます。 私たちは、来、社会の中で他者と関わりながら、自分を開くのではなくて、まずしっかりと閉じる。 塀を作る。壁を作り、ドアには鍵がかけられるようにする。 それがなければ、生きていくことはできません。 (参考)→「個人の部屋(私的領域)に上がるようなおかしなコミュニケーション」 しかし、トラウマを負っていると、そ

    あなたは素直じゃない 怒りっぽい、という言葉でやられてしまう~本来私たちはもっと閉じなければいけない - 悩みは、心の外にある
  • 物理的な現実がもたらす「防御壁」 - 悩みは、心の外にある

    スポーツをするときに、自分がこう動きたい、とおもってもなかなか体が言うことを聞いてくれないことは多いものです。 コーチから「こうしたほうがいい」といわれても、そのとおりにできない。 自分では従来のほうが心地よいのですが、結果は出ないので、やはり変えたほうがいいことは明らか。でもうまくできない。 もちろん、完全に意識と自分の身体が連動したら、プロになれるわけですけど、そんなことは難しいです。プロでも思ったように動かすためには相当なトレーニングが必要です。 皆さんもスポーツやエクササイズをしててもどかしい思いをしたことがあるのではないでしょうか? わかっているんだけど、うまくできない。 身体としての自分というものは、なかなかもどかしい存在です。 このように「現実」というものは、なかなか変わりません。一朝一夕には変化しない。 同じような日常が繰り返されます。 先日の記事にもかきましたが、 「太陽

    物理的な現実がもたらす「防御壁」 - 悩みは、心の外にある
  • 非愛着的世界観 - 悩みは、心の外にある

    トラウマを負った人の特徴として、「非愛着的世界観」をもつ、ということがあります。 「非愛着的」というのは、簡単に言えば、 ・自分の周りにはひどい人ばかり ・人を信用できない ・人に対して敵対的 人を侮る感じ ・人は自分をバカにしたり、攻撃してくるものだ ・人は狡猾で、自分を支配してくる ・人は自分を騙す ・人が怖い ・世の中は安心安全ではない といったもので、社会恐怖や対人恐怖が特徴的な世界観です。 これらは、不適切な養育環境やハラスメントの結果として心が歪んでしまった、というふうに考えられてきましたが(もちろんそれもありますが)、最近見えてきたのは、こうした「非愛着的世界観」は親であったりハラスメントを行う人間の価値観を内面化した結果生じているのではないか?(世界観そのものが他者のものではないか)ということです。 (参考)→「内面化した親の価値観の影響」 トラウマの結果として人が怖くなっ

    非愛着的世界観 - 悩みは、心の外にある
  • 「事実」に対する主権 - 悩みは、心の外にある

    先日の記事では、物理的な現実の力を借りることがとても大切であることを数回に渡ってお伝えさせていただきました。 物理的な現実の力を借りることそのものは難しいことはありません。 積み上げやカットオフができるまでの間、「待つ」ことができれば変化してきます。 (参考)→「「待つ」ことができない~世の中のありのままが感じられなくなる」 極端に言えば、ただ時間を過ごしているだけでも物理的な現実は積み上がっていって満たしてくれます。 例えば、統合失調症とか、発達障害でも「晩熟」とか、「晩年軽快」という現象が知られています。 重いケースであっても、歳をとっていくと軽くなっていくのです。 その方がなにか特別なことをしているわけではないですが、バックグラウンドで物理的な現実としての自分は積み上がっていっているということだと考えられます。 (参考)→「統合失調症の症状や原因、治療のために大切なポイント」「大人の

  • 未来に対する主権~物理的な現実には「予定(未来)」が含まれている。 - 悩みは、心の外にある

    以前取り上げた経営学者のドラッカーのに「すでに起こった未来」という邦題のものがあります。 ドラッカーは、多くの「未来予測」を行って、多くの示唆を与えてきましたが、ただ、意外にもドラッカー自身は未来予測はできないと言っています。 できることは今すでに起こった未来を捉えることだけだ、というわけです。 今すでに起こった未来を捉えるだけでドラッカーは、非常に示唆に富んだ知見を提示していたのです。 (参考)→「弱く、不完全であるからこそ、主権、自由が得られる」 今すでに起きている未来というのは、「物理的な現実」という観点で見てもわかります。未来のことは誰もわからないのですが、今ある「物理的な現実」から延長してどうなるかはある程度わかったりします。 (参考)→「私たちにとって「物理的な現実」とはなにか?」 例えば、家とかマンションの建設現場でまだ基礎を作っている段階。家やマンションは完成していません

    未来に対する主権~物理的な現実には「予定(未来)」が含まれている。 - 悩みは、心の外にある
  • 悲観やネガティブな予測は、未来に対する主権が奪われているということ。 - 悩みは、心の外にある

    前回の記事に関連して言えば、ネガティブな予測や「将来良いことがあるように思えない」といった場合、実は、それは何らの予兆を示しているわけではなく、単に未来に対する主権が奪われている、ということになります。 もう少し具体的に言えば、現在の「物理的な現実」を見て、そこに「予定」を感じ取ることができない状態ということ。 (参考)→「私たちにとって「物理的な現実」とはなにか?」 物理的な現実には「予定」が必ず含まれているのですが、無いように感じたり、「どうなるかわからない」となってしまっている。 前回、家とかマンションの建設現場の例えをしましたが、基礎があり確実に完成する予定があっても「建設会社が倒産するかもしれない」とか、「災害でだめになるかもしれない」とおもったり、「完成するまで永遠に時間がかかるような気がする」となっているような状態。 (参考)→「未来に対する主権~物理的な現実には「予定(未来

    悲観やネガティブな予測は、未来に対する主権が奪われているということ。 - 悩みは、心の外にある
  • モジュール(人格)単位で悩みをとらえる重要性~ローカルルールは“モジュール(人格)”単位で感染、解離し問題を引き起こす。 - 悩みは、心の外にある

    モジュール(人格)単位で悩みをとらえる重要性~ローカルルールは“モジュール(人格)”単位で感染、解離し問題を引き起こす。 例えば、 家庭や会社にいて「怒られるのではないか」「自分に対して否定的なことを言われるのではないか」とビクビクしたりすることがある。 もちろん、いわゆるブラック会社や、機能不全家族ではなく、比較的落ち着いた職場であり、穏やかな家庭の話です。 そのため、実際に怒られたり、失礼なことを言われることというのはありません。 でも、おどおどしたり、何やら落ち着かない気持ちで、自信がない。 感覚としては、まわりは穏やかな平和な世界なのに、 なぜか自分だけが、不思議なおかしな世界観の中にとどまっている。 そして、あるはずもない脅威やよく考えれば、おかしなルールにおびえている。 旧来の臨床心理の考え方でいえば、過去の記憶や信念が残っているから、無意識の作用で、と捉えられてしまいます。

    モジュール(人格)単位で悩みをとらえる重要性~ローカルルールは“モジュール(人格)”単位で感染、解離し問題を引き起こす。 - 悩みは、心の外にある
  • 人間の言葉はまったく意味がない~傾聴してはいけない - 悩みは、心の外にある

    「言葉には心を越えない~♪」というのは昔大ヒットした歌の歌詞です。 言葉には意味がないのよ、というのは昔から人間が感じていたことです。 一方、言葉が最初にあった、というように言葉の価値の大きさもわたしたちは知っている。 カウンセリングでも、「傾聴」ということが重んじられるわけです。 では、当の傾聴ってなんだろう?と考えたくなります。 傾聴とは、鵜呑み、真に受けではありません。 人間が解離しやすく、内的な人格が分かれているという性質を持つ以上、すべて真に受けることはありえません。発せられた言葉を吟味し、選別し、来の人格の声を見つけること。それも治療者の役割と言えます。 ハラスメントやローカルルールといったものを見るにつけて、強く思うのが、「日常の人間の言葉は当に意味がない」ということです。 なぜかといえば、繰り返しになりますが人間は容易に解離してしまう存在であり、おかしくなってしまうか

    人間の言葉はまったく意味がない~傾聴してはいけない - 悩みは、心の外にある
  • 「人の意見を聞く」とはどういうことか? - 悩みは、心の外にある

    トラウマを負っている人に共通する意識として、「自分の言葉で話すと、自分はおかしなことを話してしまう」「自由に行動するとおかしなことをしていまう」という恐れ、自信のなさです。 これがベッタリと心に張り付いていて、行動が制限されている。 (参考)→「自分がおかしい、という暗示で自分の感覚が信じられなくなる。」 自分が信頼できないから、外側にある基準に従うしか無い。 自分の問題の原因が他者からのローカルルールの支配にある、とわかったとしても「ローカルルールがなくなったとして、じゃあ、自分で判断できるか?といえばできない」 「だって自分の判断で行動するとやらかしてしまうから」「自分がやりたいことをやる姿が想像できない」となってしまう。 そして、また馴染みのあるローカルルールの世界へと引き戻されてしまう、という悪循環になっています。 (参考)→「ローカルルールとは何か?」 そこに、「言葉偏重」など様

    「人の意見を聞く」とはどういうことか? - 悩みは、心の外にある
  • 人の話をよく聞いてはいけない~日常の会話とは“戯れ”である。 - 悩みは、心の外にある

    歴史学の世界では、「史料(資料)批判」という言葉があります。 歴史の史料も、それが当なのか、適切なものなのかを吟味する、取捨選択することを言います。 歴史学以外の学問でも同様で、研究で得た素材をそのまま無批判に受けるということはありません。その史料がどういった性質のものか?誰がなんのために残したものなのか、その意図や、内容が虚偽ではないか、を確認していきます。 史料として集めても、極端に言えば、9割以上は使えずに捨てるという結果になります。 理系での実験データなどでも同様に、その内容は徹底的に吟味されます。統計でいろいろと数字を出してみても大半は意味のあるものではなく、試行錯誤して、ようやく意味のあるデータを拾い出す、という感じです。 このように、得られた史料、データや素材をそのまま用いることはなく、厳しくチェックした上でエビデンス(証拠)として採用されていきます。虚偽が混じっていたり、

    人の話をよく聞いてはいけない~日常の会話とは“戯れ”である。 - 悩みは、心の外にある
  • すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能 - 悩みは、心の外にある

    人の言っていることがすべて戯れ言 です。 真に受ける必要はない。 (参考)→「人の話をよく聞いてはいけない~日常の会話とは“戯れ”である。」 これで言われてきた理不尽な言葉、自分への悪口、指摘もすべてローカルルールでしかない。 他の人から見て立派な人でも、人間は容易に解離してしまうもの。 すると、なんとなく思えるのは、 「すべてが戯れ言なら、真実はないの??」 という不安がよぎります。 「そうです。真実はありません。」と答えると、価値相対主義になります。 反対に、 「真実はあります。他の人の言葉は戯れ言ですが、私の言葉は信じてください」と答えると、怪しげな宗教になってしまいます。 では、どう考えればよいのか? この問題は、実は、デカルト以降、カント、ヘーゲルなどなど、錚々たる哲学者が取り組んできた問題でもあります。 ヨーロッパでも、近世から近代にかけて「キリスト教の言っていることがもしかし

    すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能 - 悩みは、心の外にある
  • ローカルルール人格って本当にいるの? - 悩みは、心の外にある

    「ローカルルール人格って当にいるの?」と疑問に思う人もいるかもしれません。 ローカルルール人格というのは、心理学や社会学などでも明らかになっている事象をまとめて表現した臨床上の概念です。もちろん、実際に存在しますし、誰でも目で見て確認したことがあります。 (参考)→「ローカルルールとは何か?」 たとえば、「モラルハラスメントの加害者(いじめっ子、ハラッサー)」というものについて。モラハラは当にあるのか?ということを考えてみます。 仮に整理するために、 a)概念 + b)物理的な存在 + c)現象 の3点セットがそろってはじめて、確実にわかる、ということであるとするならば、 a)概念    (モラルハラスメントという仮説で規定) b)物理的な存在(加害者として物理的に存在していることを確認できる) c)現象    (ハラスメント行為が目で見て確認できる) ということで、明らかに確認できま

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  • 悩みは、心の外にある - トラウマケアを提供しているカウンセラーが日々見つけたことをまとめています。

    先日、オリンピックを見ていましたら、悔しくて号泣した選手に対して、バッシングがあって、という報道を目にしました。 曰く、「進行を妨げた」とか、「武士道精神に反している」といったことを根拠としての批判のようです。 私などは、素朴に「人前で感情を出せるなんて、素晴らしいことだ」とおもっていましたので、とても驚きました。 東京五輪のときにも、サッカーの久保建英選手が、負けた後にグランドでワンワンと泣いていたのを見て、「感情を発露できて、とても素晴らしいことだな」と見ていました。 今回の批判などはまさにローカルルールの典型です。 つまり、批判したい側の音は、不全感の発露。 例えば、「自分は無邪気さや感情の発露を我慢しているのに、我慢していない人を見ると許せない」 「感情的な人を見るとイライラする、不安になる」とかそういったものです。 しかし、そのままそれを伝えたのでは、自分がおかしな人扱いになり

    悩みは、心の外にある - トラウマケアを提供しているカウンセラーが日々見つけたことをまとめています。
  • 夫婦、恋愛の悩みも「機能」として捉えれば、役に立つ - 悩みは、心の外にある

    前回は、親などの家族について取り上げました。 家族にはいろいろなしがらみ、幻想が付きまといますし、各々の価値観はさまざまですが、「機能」(≒機能を果たしている存在こそが家族である)としてとらえると問題を解決する際には役に立つ、ということを書きました。 (参考)→「親、家族についての悩みは厄介だが、「機能」としてとらえ、質を知れば、役に立つ~家族との悩みを解決するポイント」 これは、いわゆる夫婦、恋愛の問題でも同様になります。 結婚恋愛も、幻想も多く、盲目にもなりやすい、 モラハラ、パワハラ、DVなども問題もしばしば起こります。それぞれの価値観も多様ですから、なかなか一様には片づけることはできません。 (参考)→「恋愛依存症の当の原因と治し方~6つのポイント」 (参考)→「家庭内暴力、DV(ドメスティックバイオレンス)とは何か?当の原因と対策」 しかし、配偶者や恋人も「機能」としてと

    夫婦、恋愛の悩みも「機能」として捉えれば、役に立つ - 悩みは、心の外にある
  • 「言葉」偏重 - 悩みは、心の外にある

    SNSが普及した現代では、ニュースや投稿に様々なコメントが寄せられます。 それぞれのコメントなど真に受ける人はいませんが、量や勢いで圧倒されて「炎上」ということが起きることはあります。 かつてのインターネットがない時代では、世の中に自分の意見を言える人というのは、それぞれの分野でそれなりの実績があり、発信する資格があると認められていた人達に限られていました。 出版社やマスコミ、各種団体等がそのフィルタになっていたわけです。 人間の言葉とは常に戯言でしかありませんが、かろうじて意味があると認めてもらうためには実績、資格が必要だったということです。 (参考)→「人間の言葉はまったく意味がない~傾聴してはいけない」 近所のおじさん、おばさんが世間話で、政治や哲学を立派に語っていても真に受ける人はいません。 「そうなんですね~」と言いながらスルーしています。 居酒屋で偉そうに武勇伝や説教をしている

    「言葉」偏重 - 悩みは、心の外にある