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ブックマーク / counselor-blog.com (56)

  • 「関係念慮(被害関係念慮、妄想)」とは何か? - 悩みは、心の外にある

    トラウマを負った人の特徴としては、「関係念慮(被害関係念慮、妄想)」があります。 「関係念慮」とは、来自分に関係のないことが関係あると思えたり、することです。特に、対人関係で生じることが多く、だれかが、自分のことを悪く言っている、貶めようとしている、ととらえてしまうことです。 程度が重くなれば、「妄想」となります。 実は、「関係念慮(妄想)」は特殊なことではなく、日常の中で誰でも経験しています。 芸人のネタではありませんが、「もしかしてあの人は、私のこと好きで誘っているんじゃないの??」といったことから、「この仕事で成功したら、役員に目をかけてもらえるかも?」といったことまで、いろいろな想像を普段からしているものです。 人間の意識は同心円でグラデーションのようになっていって、現実-想像-妄想 と距離が遠くなると、怪しくなっていくものです。 さらに、人間の頭には邪念というものが渦巻いていま

    「関係念慮(被害関係念慮、妄想)」とは何か? - 悩みは、心の外にある
    tsuneaki02
    tsuneaki02 2022/07/18
    “関係念慮”
  • 自我と常識(パブリックルール)が弱い - 悩みは、心の外にある

    ある学者が、「個人-中間集団-国家」と3層で考えたときに、日は、個人主義と国家主義が弱い、みたいなことを書いていて、とても印象的でした。 たとえば、戦前の日は、国家主義で「お国のために」と建前では強調されていましたが、実際は国ではなく、省益や世間の圧力で動いていました。 イメージとは異なり、戦前は国の力がとても弱い時代でした。 事実、総理大臣でも戦争を止めることはできないし、予算も通せないし、大臣を選ぶのも自由にできない。 天皇にも全く発言権はない。無責任体制と呼ばれるような極度な“分権制”でした。 そのために機能不全に陥ってしまい、音ではしたくもない戦争に突入して負けてしまった、ということのようです。 この学者さんの指摘が印象的だと感じましたのは、機能不全に陥る状態が、トラウマを負った人とよく似ている、ということです。 「1.自我」-「2.中間集団」-「3.公的規範」の三層でとらえ

    自我と常識(パブリックルール)が弱い - 悩みは、心の外にある
  • 「常識(パブリックルール)」が弱い、とはどんな状態か? - 悩みは、心の外にある

    前回、トラウマを負っている方は、「常識(パブリックルール)」が弱い と書きましたが、これは、もちろん俗に言うような意味で「常識がない」ということではありません。 (参考)→「自我と常識(パブリックルール)が弱い」 むしろ、他人からどう思われているか? 迷惑をかけていないか? をものすごく意識しています。 「過剰適応」という言葉があるように、常識やルール、マナーということは意識しすぎるくらいに意識している。 過剰なくらい”常識的”です。 しかし、ここからが問題ですが、 一方で、自分がどこか変だ、と感じている。 なぜか、自分がマナーや常識というものがわからない感覚があって、それを人から指摘されるのではないか?と恐れている。 だから、過剰に意識しているのです。 (参考)→「自分がおかしい、という暗示で自分の感覚が信じられなくなる。」 さらに、トラウマを負った人が考える「常識」とは、他人の考えを忖

    「常識(パブリックルール)」が弱い、とはどんな状態か? - 悩みは、心の外にある
  • 忖度とはなにか? 相手の負の世界を飲み込んでしまう。黙ってしまう。 - 悩みは、心の外にある

    たまたま、TVのバラエティ番組で、女優さんに整形したようなメイクをしてもらって芸人に見せて、それを指摘するか、指摘しづらいか、みたいなことをドッキリみたいに試す、というのを目にしました。 整形というと、その方の自己意識とかコンプレックス、プライドとか、そういう様々なものを背景にして行われる行為です。 ですから、単に行動だけにとどまらず、そんなもろもろの感情や動機もそこには重なって、余計に指摘しづらい状況と言えます。 ただ、芸人さんは、その場ではズバリは言いませんが、笑いを堪えられなくなったり、あとでロケバスの中では相方やスタッフとそのことに触れて忌憚なく考えを伝え合ったりしていました。 これが、トラウマを負っている人ならどうなっているだろうか? というと、 その場で指摘できないことはもちろんですが、相手のコンプレックスといった負の世界を丸ごと飲み込むかのようにしてしまう。 相手の頭の中や、

    忖度とはなにか? 相手の負の世界を飲み込んでしまう。黙ってしまう。 - 悩みは、心の外にある
  • ログアウト志向と、ログイン志向と - 悩みは、心の外にある

    最近、用事があってたまたま書店で立ち読みしていたときにセラピーに関するを手にとって、パラパラと見ていました。 そのの中に、悩みの解決方法として「私を消す」みたいなことが書かれていました。 今までだったらなんとも思わなかったと思うのですが、そのときは、あれ? となんとなく違和感を感じたのでした。 これまでこのブログでもお伝えしてきましたように、社会的な動物としての人間は、自分としてログインすることで、その人らしく行きていくことが可能になっていくものですが、それなのに、なぜ「私を消す」必要があるのでしょう。 (参考)→「自分のIDでログインしてないスマートフォン」 むしろ、「私を出す」とか「私を示す」という方向にだとわかるのですが、なぜ逆方向に導こうとするのでしょうか。 あらためて考えると、なぜか、セラピーは私たちをログインの方向ではなく、ログアウトしよう、ログアウトさせようとしがちだな、

    ログアウト志向と、ログイン志向と - 悩みは、心の外にある
  • 人との「壁」がない人たち~発達障害、トラウマ - 悩みは、心の外にある

    「他者との壁がない人たち」の代表例は、意外かもしれませんが、実は発達障害の人たちです。 発達障害というと、他者と関係を持つことや維持すること、理解することが難しい、とされますが、 実は、その背景にあるメカニズム、特徴は何か?というと、「内的言語の失調」ということです。 (参考)→「大人の発達障害当の原因と特徴~様々な悩みの背景となるもの」 私たち人間は、言葉によって世界に区切りを入れて、世の中を理解する生き物です。言語は人間の大きな特徴の一つです。 そのため、内的言語がダメージを受けているとどうなるかといえば、世界と自分との区別が、他者と自分との区別がうまくつかなくなります。 自分と他人との区別がつかない状態のことを「自他未分」といいます。 (参考)→「「自他未分」」 まさに世界や他者との壁がない状態。 壁がないため、いつも不安(「アプリオリな不安」)です。壁がないため、他者を理解でき

    人との「壁」がない人たち~発達障害、トラウマ - 悩みは、心の外にある
  • つきあいには「壁」が必要 - 悩みは、心の外にある

    ソロキャンプで有名になった芸人のヒロシさんの番組を見る機会がありました。 ご存じの方も多いと思いますが、ソロキャンプというのは、一人でキャンプを楽しむものです。 休日に一人で自然の中でテントを張って、焚き火をしてコーヒー事、そして自然を楽しむ、というものですね。 人づきあいが苦手で、人見知りだというヒロシさんが一人でキャンプに行く様子をYoutubeにあげていたら、それが多くの人の支持されて、今やソロキャンプの開拓者、第一人者となったそうです。 さらに、「焚き火会」といって、同じくキャンプを楽しむ芸人同士でキャンプをしたりする様子がYoutubeやTVでも放送されています。 面白いのは、自身を人見知りだというヒロシさんですが、ソロキャンプを楽しむ者同士が集まってワイワイ楽しんでいる。 いわゆるキャンプと言うと、沢山の人が集まって、気を使ってということになりがちですが、ソロキャンプ同士で

    つきあいには「壁」が必要 - 悩みは、心の外にある
  • 現実アレルギー - 悩みは、心の外にある

    環境や身近な人親からの入れられたローカルルールの暗示から抜け出したい。 そのためには、「物理的な現実」の力を借りるというのが一番強力です。 物理的な現実というのは、言葉やイメージをねじ伏せるように立ち現れますから。 (参考)→「「物理的な現実」は、言葉やイメージをねじ伏せる」 しかし、多くの場合、物理的な現実の力を借りるまでには時間がかかります。 なぜかというと「現実アレルギー」とでもいうべきものの存在によってです。 「事実」とか、「現実」というと、嫌なもの、残酷なものと感じられます。 「自分が駄目な人間だということを突きつけてくるもの」という感覚がある。 自分は、ダメな人間だという事実を必死に隠していて、人と関わるときもニコニコと人に合わせて、なんとかバレなようにしている。 (参考)→「バレていない欠点があって、それを隠してコソコソ生きている感覚」 他人が怖いのは、なにかといえば、他人が

    現実アレルギー - 悩みは、心の外にある
  • 自分を出したほうが他人に干渉されないメカニズム - 悩みは、心の外にある

    所有(私は~)を宣言したほうが、恐れに反して、干渉は止まる、と前回の記事でお伝えしました。 (参考)→「自分のもの(私が~)と言えないから、他人に干渉される。」 ここでさらに疑問がわきます。 あくまで上のはたとえ話として展開した話ですが、実際の場面で、自分の持ち物を「センスが悪い」だとか言われて嫌な思いをしたことがある、と。 「わたしの」ということで当に干渉されにくくなるのか? そのことについて続けて考えてみたいと思います。 前回の記事で見たように、 「その派手なエンピツ誰の?」と尋ねられて、 「わたしのです」と答えると、 ↑相手との距離感にもよりますが、普通はここで止まります。 ただし、相手が踏み込んできたとします。 「なんか趣味が悪いんじゃない?」 「そう、わたしは気に入っているの」 「そうなんだ・・」 で終わります。 趣味が悪いと考えるのは、「相手の考え」です。 気に入っているとか

    自分を出したほうが他人に干渉されないメカニズム - 悩みは、心の外にある
  • 他者の視点は神の視点ではない。 - 悩みは、心の外にある

    前回の記事と関連しますが、 トラウマを負っている人の特徴として、他人に指摘されると、頭が真っ白になってしまう、ということがあります。 自分が気がついていない事柄を、欠点を他人が指摘してきた、として、顔面蒼白、足元がひんやりするのです。 他人の指摘をあたかも「客観的な事実」であるかのように、そのまま受け取ってしまいます。 その背景には、前回の記事でも見ましたように「自分は不注意で、おかしな考えや行動を取る変な人間」といった自己イメージがあり、一方、「他人はもっと立派な真実を知っている」といった他者イメージがあります。 (参考)→「不意打ちの恐怖」 他者を「神化」している。 来は、世の中は「主観」と「主観」のぶつかり合いです。 「客観」なんてものはどこにもありません。 私たちが普段「客観」といっているものは、あくまで「視点B」「視点C」ということでしかありません。 (参考)→「真の客観とは何

    他者の視点は神の視点ではない。 - 悩みは、心の外にある
    tsuneaki02
    tsuneaki02 2021/05/27
    『1,2人の指摘なんて何の意味もありません』
  • 「自分が気がついていないマイナス面を指摘され、受け止めなければならない」というのはローカルルールだった! - 悩みは、心の外にある

    「自分が気がついていないマイナス面を指摘され、受け止めなければならない」というのはローカルルールだった! 人間にとって、一番のダメージとのなるのは、「自分が気がついていないマイナス面を他人から指摘される」ということではないかと思います。まさに不意打ちをらうような感じで破壊的なダメージとなります。 ”自分が気がついていない”というところがポイントで、これがあると、結局どこまで行っても、「自分が気がついていないこと」というのはなくなりませんから、いつもどこか自信が持てない状態に追い込まれてしまいます。 こうしたことを悪用しているのが、かつて流行した洗脳型の自己啓発セミナーで、参加者同士でその方の欠点を言わせて、自我を破壊したあとに、拠り所を渇望し始めた参加者に、主催者側が刷り込みたい理論を伝えると、高揚とともにそれを吸収していきます。 中国で行われていた洗脳はそれを徹底していて、「ラストエン

    「自分が気がついていないマイナス面を指摘され、受け止めなければならない」というのはローカルルールだった! - 悩みは、心の外にある
    tsuneaki02
    tsuneaki02 2021/05/24
    『すべては、まずは自分というシステム(内部環境)を大事にして、そこから積み上げていくことが大切。実は、健康な人は自然とそうしている。例えば職場でも、上司の話は話半分で聞いている。内容を精査している』
  • 「正統性」と「協力」~ローカルルールのメカニズムを知り、支配を打ち破る。 - 悩みは、心の外にある

    ローカルルールというのは、それを受け入れる人がいて初めてなり立ちます。 ローカルルール自体は根拠が薄弱なニセモノ(幻想)だからです。 (参考)→「ローカルルールとは何か?」 ローカルルールの最たるものは、ファシズムや全体主義です。 なぜ、全体主義の国では警察が個人の思想や内面まで取り締まろうとするか、といえば、ローカルルールがそれを支える人たちの幻想がなくなれば存在できなくなるほど脆いからです。 だから、人々の頭の中を常に取り締まっておいて、恐怖や罪悪感でしばらないと壊れてしまうのです。 ローカルルール人格という存在に対しても同様です。 たしかに厄介で面倒な存在なのですが、それはそれを真に受けて支えさせられている部分が私たちの中にあるから。 真に受けさせることでローカルルール人格は延命している。 ローカルルールを壊すためには、そうしたメカニズムを知り対抗していく必要があります。 支配のメカ

    「正統性」と「協力」~ローカルルールのメカニズムを知り、支配を打ち破る。 - 悩みは、心の外にある
    tsuneaki02
    tsuneaki02 2021/05/24
    『内面化している部分については、自分の中にもそれに感染して協力している人格がいて、それが解離して前に出てきたり、本来の自分に影響したりしていることに気づいて、それに従わないことです』
  • ローカルルールとは良いことに聞こえ、意味があるように見えるもの。 - 悩みは、心の外にある

    ローカルルールの仕組みがわかってきて、だんだんとそこから抜け出せるようになってきても、でも、どうしても頭に引っかかってしまう、ということがあります。 完全には否定できない、という感覚です。 (参考)→「ローカルルールとは何か?」 オウム真理教事件でも、脱会した信者も何年たっても、「教祖の言っていたことが当ではないか?」という恐れや不安があったといいます。 それに似たような感じで、「相手がおかしいのはわかってけども、その状態でも相手の言っていることには理があった(だから頭から離れない)」というケースも多い。 例えば、「おかしくなった(ローカルルール人格にスイッチした)状態で私の行動に対して指摘してきたことは正しかったし、たしかに私にも問題があった」とか。 「たとえローカルルールであっても、良いものは認めなければいけないのではないか(自分の悪いところは認めないといけないのではないか)?」 「

    ローカルルールとは良いことに聞こえ、意味があるように見えるもの。 - 悩みは、心の外にある
    tsuneaki02
    tsuneaki02 2021/05/24
    『結局は、私的な感情(不全感)にすぎないのです』『でも、耳を傾ける必要は全くありません。日常の人間の言葉はすべて戯れ言ですから』
  • ルールの大本を握ると人間は極端に優れて見える~理不尽な相手にも社会的に良い面がある、というのもローカルルールである。 - 悩みは、心の外にある

    ルールの大を握ると人間は極端に優れて見える~理不尽な相手にも社会的に良い面がある、というのもローカルルールである。 理不尽なハラスメントを受けて相手がおかしいということは十分にわかっていても、 「自分にも非があるのかも?」という思いがどうしても拭えない、ということがよくあります。 特に相手が社会的に評価されている部分がある、とか、他の人とは仲が良い、といった場合はそうです。 そのことを勘案すると、どうしても相手を否定することができない。 治療者から「相手がおかしく、あなたは自分を責める必要はありません」といわれても、「そうは言ってもそう思えないのです。なぜなら~」となる。 よく知られたことですが、例えば、DV(ドメスティックバイオレンス)の加害者はしばしば、職場では紳士的で、仕事ができる人であったりするケースが多い。 社会的な地位があって、職場ではそんなふうに見えない。 でも、家に変える

    ルールの大本を握ると人間は極端に優れて見える~理不尽な相手にも社会的に良い面がある、というのもローカルルールである。 - 悩みは、心の外にある
    tsuneaki02
    tsuneaki02 2021/05/24
    『人間というのは、内的には人格が分かれていて、不全感に刺激を受けると、容易に解離する存在である、ということ』『ルールの大本を握った側が極端に優れて見える傾向(規範バイアス)があります』
  • 自他の壁を越える「筋合いはない」 - 悩みは、心の外にある

    筆者が昔、会社員をしていたころ。 職場はパワハラ、モラハラが横行してひどい環境にありました。 モラハラとは、ゴールポスト(モラル)を勝手に動かして、支配することですが、上司の「マイルール」で理不尽に詰められる、という状況でした。 (参考)→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か」 当時は、筆者は原因不明の自信のなさに苦しめられていたので、「マイルール」のほうが正しいのかも、としてそこに従わされていました。ただ、身体は違和感を感じていました。 ある時に、出張中に上司と二人でいたときに、 なぜか上司の機嫌が悪く、ファミレスでひどい叱責を浴びせられていました。 腑に落ちませんが、会社員ですから、あからさまに反抗することもできませんので、ずーっと聞いていました。 ただ、その中で、 上司が「お前の育ちが悪いんじゃないか」「親の育て方が・・」みたいな話をしたときに、 自然と、筆

    自他の壁を越える「筋合いはない」 - 悩みは、心の外にある
    tsuneaki02
    tsuneaki02 2021/05/23
    『ポップ心理学、自己啓発などでは、自他の壁を取り払いましょう、といった流れになりがちですが、それは[……]発達の流れに反しています』
  • 人間は「関係」でできている。教科書が存在せず、「関係」は幻想だらけ - 悩みは、心の外にある

    人間というのは、クラウド的な存在ですから、「関係」がないと機能しません。 スマホを思い出したらわかりますが、ネットワークを切ってしまったらカメラか計算機程度にしか役に立たなくなります。 人間も同様で、「自分が何者か?」ということも、置かれる状況、関係によって規定される。 「関係」を切り離して、純粋な「来の自分」なるものは存在しない。 キリストも、家族の「関係」を断って旅に出ましたが、弟子や支持者(信者)との「関係」は大きく、それらがあるからキリストでいられた。故郷に帰ると奇跡は起こせなくなった。天才でも、個性的な人でも、「関係」がなければその人はその人ではいられないのです。 私たちも、「関係」をもとに、公的人格をはぐくむことで、社会の中で“自分”でいられる。「関係」を離れた純粋な個はどこにも存在しない。 このことについてはセラピーでもちゃんと言ってくれないし、ここを隠したままセラピーが行

    人間は「関係」でできている。教科書が存在せず、「関係」は幻想だらけ - 悩みは、心の外にある
  • 社会性を削ぐほど、良い「関係」につながる~私たちが苦しめられている「社会性過多」 - 悩みは、心の外にある

    筆者は、誰とでもうまく話せないし、知らない人と話すのは億劫に感じるし、そんな自分を責めていました。自分は人見知りなんだ、と思っていました。 しかし、〝心”に聞くと、「人見知りではないよ」と答えてくれます。 (参考)→「「心に聞く」を身につける手順とコツ~悩み解決への無意識の活用方法」 でも、症状としてはどう考えても人見知りだし、〝心”の答えは気休めなのかな?と思っていました。 そんなあるとき、海外旅行に行ったときのことでした。 現地に着くと「なんか日で感じる感覚とは違うなあ」と感じます。 あれこれと人を気遣うような電波のようなものを感じない。 そんななか、一泊二日のミニツアーのようなもので、砂漠に行くことになりました。周りはほとんどが外国人。 すると、最初少しは緊張しますが、でも、相手と気楽に話せたりするのです。 「あれれ? 人見知りのはずだけど、できちゃうな。」 人見知りとは思えないよ

    tsuneaki02
    tsuneaki02 2021/05/23
    『「社会性」がないのではなく、むしろ社会性が過剰なのです』『(「関係的な生きづらさは」)それについて深く考えてはいけないようなものを、ふと意識してのぞき込んでしまうときに、出現するのかもしれません』
  • 「形よりも心が大事」という“理想”を持つ - 悩みは、心の外にある

    トラウマを負った人は、「人との付き合いは、形よりも心が大事」だと思っています。 心でいかに相手を思うか、 純粋に愛情を持てるか、 ということを大切にします。 建前やうわべ、社交辞令には嫌悪感を持ちます。 嘘のように思えて嫌なのです。 当に心からのものではないのに、なぜそのようなことを言わなければいけないのかがわかりません。 純粋な関係を持ちたい、そうあることが来の在り方だ、という“理想(≒マイルール)”があります。 なので、どこかいつも腰が入りきらない感じで社交辞令を仕方なく使うので、それが相手に伝わってうまくいかなくなる原因にもなります。 普通の人たちが大切に思う「形式」を踏まずトラブルになることがあります。「形式」を踏んでいないために、逆に「心がない」と非難されてしまい、誤解されものすごく傷つきます。そして、「非難してくる相手のほうが、よほど心がゆがんでいる。おかしい」と頭の中でこ

    「形よりも心が大事」という“理想”を持つ - 悩みは、心の外にある
  • 関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く - 悩みは、心の外にある

    私たちが海外旅行に行った際にしばしば経験することですが、飲店の人が日のように愛想がありません。 笑顔がなく、ムスッとした表情で注文を訪ねてくる。飛行機の機内のフライトアテンダントでさえ、無表情だったり。 よほど高級店で高額なお金を払うのでもなければ、笑顔で気の利いたサービスは得られないことも多い。 そんなことを経験すると、「ああ、日はいいな」と思うわけです。日でも、小さな店でも、笑顔で愛想よくしてくれますので。 ただ、「関係」の基を考えていくと、どうも外国のほうが普通なのかも?と思えてきます。 日は世間の延長でできているためか、ご近所に愛想をするような感覚で、サービス業でも笑顔で接客してくれますが、それは当たり前ではありません。 来の“当たり前”とは何かというと、実は「気づかい」とは信用を得たものにのみ与えられる特別サービスであり、無料で当たり前に提供しあうものではない、とい

    関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く - 悩みは、心の外にある
    tsuneaki02
    tsuneaki02 2021/05/22
    『関係が停滞(腐れ縁)すると、2階の公的な環境が失われて、3階部分の私的なやり取りが悪く作用[……]』
  • 「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる - 悩みは、心の外にある

    昔、筆者が、ペーパードライバーの講習を受けて運転の練習をしていたときのことです。 ドライビングスクールの先生と少し雑談しながら、運転をしていました。 筆者「そういえば、運転すると人が変わる人っていますよね?」 先生「いますね。」 筆者「なんででしょうね?あれは」 先生「車内がプライベートな空間で、自分が解放されるみたいですよ」 筆者「なるほどそうなんですね。確かに知り合いのおじさんも、車に乗ると、オラー!って人が変わっていました。」 このように、 どうやら、〝私的な空間”というのは(厳密にいえば公私の区別があいまいなところは)人をおかしくしてしまうようです。 別の例では、DVを行う男性もこれに似ています。 公的な空間にいると、紳士的なのですが、 私的な空間になると、人が変わって、パートナーに暴力、暴言を浴びせてしまう。 (参考)→「家庭内暴力、DV(ドメスティックバイオレンス)とは何か?

    「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる - 悩みは、心の外にある