タグ

ブックマーク / brighthelmer.hatenablog.com (3)

  • ネット上で社会学者の評判はなぜ悪いのか - 擬似環境の向こう側

    こんなタイトルのエントリを書くというのは、正直、悩ましい。 というのも、ぼくは社会学の正規教育は受けておらず、自分が社会学者だとはちょっと名乗れないからだ(制度的な理由で学位は「法学」だ)。 とはいえ、社会学部に勤務しているのは確かだし、社会学的なものに親しみもある。以下の文章は、あくまでそういう中途半端な立ち位置から書かれた「個人の感想」だということをまずは述べておきたい。 ネット上での社会学の評判はよくない。大変によくない。 実のところ、ネット上で積極的に発言をしている社会学者の数はさほど多くないと思うのだが、通常は社会学者だとはカテゴライズされない人も、「政治社会に関する発言をしており、かつ多くの人びとから反発を買っている人文社会系の学者」は「社会学者」とみなされてしまうことが結構ある。 それではなぜ、ネット上で社会学者はこんなにも嫌われるのだろうか。 社会学者が嫌いな人からは当然、

    ネット上で社会学者の評判はなぜ悪いのか - 擬似環境の向こう側
  • 政治家と有権者とメディアの不幸な関係 - 擬似環境の向こう側

    政治家は自分ことしか考えてない? 批評家の東浩紀氏が今度の選挙で「積極的棄権」を呼びかけたということが話題を呼んでいる。 この呼びかけに対しては多くの批判がなされており、いまさらぼくが言うべきことは特にない。特にないのだが、東氏の問題意識に共感する部分がないわけでもない。解散総選挙が報じられるようになったあたりで、うんざりする気持ちがなかったかと言えば嘘になるからだ。 東氏の呼びかけの一部を引用しておこう。 今回の選挙にはまったく「大義」がありません。解散権の乱用であることは明白です。しかもそれだけではありません。来大義なき選挙を批判するはずの野党も、選挙対策に奔走し、政策論争を無視した数あわせの新党形成に邁進しています。結果として、リベラルは消滅しました。 (出典)2017年秋の総選挙は民主主義を破壊している。「積極的棄権」の声を集め、民主主義を問い直したい。 ぼくなりにもう一つ付け加

    政治家と有権者とメディアの不幸な関係 - 擬似環境の向こう側
  • ファンの心理、アンチの心理 - 擬似環境の向こう側

    これを読んでいる方に想像してもらいたい。 みなさんが大好きな誰か、できれば努力家が良いのだけれども、その誰かが学業や仕事で成功したという話を耳にしたとしよう。その時、どんな感想を抱くだろうか? 「ああ、アイツ、頑張ってたもんな」「努力の成果だな」 そんな感想を持つのではないだろうか。 それでは逆に、みなさんの大嫌いな誰がが、学業や仕事で成功したと聞いたならどうだろう? 「運が良かっただけじゃね?」「周りからサポートがあったからじゃない?」 などと思ったりはしないだろうか。もちろん、その人がどんな人かにもよるとは思うのだが。 次に、みなさんが大好きな誰かが失敗したという話を聞いたとしよう。すると、今度はこんな感想を持つかもしれない。 「今回はちょっとハードルが高すぎたよね」「めぐり合わせが悪すぎた」 最後に、みなさんが大嫌いな誰かが大失敗したという話であればどうだろう? 「自業自得だね」「ア

    ファンの心理、アンチの心理 - 擬似環境の向こう側
    tsutsumi154
    tsutsumi154 2017/10/15
    好きとか嫌いとか最初に言い出したのは
  • 1