写真:岩波友紀 10月上旬、私が暮らす福島県南相馬市の南隣にある浪江町の公立学校で小さな運動会が開かれた。東京電力福島第一原発の北約8キロにある「浪江町立なみえ創成小・中学校」。2018年春の開校以来、小学生15人、中学生2人、こども園の園児10人が通っている。 秋晴れの下、放射性物質が舞い散らないよう人工芝が敷き詰められた校庭には多くの地域住民やボランティアらが詰めかけた。2017年春に避難指示が一部解除されたものの、町内で授業を再開できたのはこの「なみえ創成小・中学校」だけであり、通っている児童生徒の数は住民登録している子どもたちのわずか2%にも満たない。原発事故で全町避難を強いられた浪江町ではあの震災から8年半が過ぎた今も、子育て世代ほど避難先の学校に子どもを通わせていたり、現地に保護者のネットワークなどができてしまったりして故郷に戻ってこられないのが実情なのだ。 校庭に集まった大人