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2020年8月16日のブックマーク (6件)

  • 割り算ができない専業主婦(追記 2020/08/16 14:49)

    追記 2020/08/16 14:49色んなコメントありがとうございます。 元増田の要点がまとまってないせいもあり、議論の方向性が放射状に伸びちゃったなと反省してます。 追記は下の方でしてます。 元の増田 うちの奥さん、割り算ができない。 「割合」の話をしてて発覚した。 『アルコール度数30%のお酒100mlを二杯飲んだ時のアルコール摂取量』 がわからないんだと。 んで「200円のお肉タイムセールで3割引です、いくら払うことになりますか?」とか「何円お得ですか?」とか手を替え品を替え問題文を作って解かせるも全部不正解。 どこにも言われてない数字が突然でてきて「なんでその数字がでてきたの? 」と聞いても「わからない」の一点張り。 何がわからないの?どこの数字を拾ってきたの? よくよく計算の途中を聞いてみても不可解。 割り算の筆算ができないどころか、実は九九も全部言えないことが判明。 掛け算は

    割り算ができない専業主婦(追記 2020/08/16 14:49)
    tuka8s
    tuka8s 2020/08/16
    中卒ではなく、高校の試験は通ったのか。でも、まぁ、ついていけないよね。教育の敗北。3人分とか料理が不安になるね。スーパーとか普通の仕事も体験した方が良いのではないかと。計算の必要性も気付けるだろう。
  • 甘利氏、安倍首相を「休ませて」 コロナ対応で疲労蓄積を心配 | 共同通信

    自民党の甘利明税制調査会長は16日のフジテレビ番組で、新型コロナウイルス対応のため、連続勤務となっている安倍晋三首相の疲労蓄積を心配した。「ちょっと休んでもらいたい。責任感が強く、自分が休むことは罪だとの意識まで持っている」と述べた。甘利氏は首相側近。12日に1時間近く2人で会談している。 首相は例年8月15日の全国戦没者追悼式に出席後、山梨県鳴沢村の別荘で静養に入るが、今年は東京都内の私邸に帰った。甘利氏は番組では「数日でもいいから強制的に休ませなければならない」と強調した。 野党の臨時国会召集要求は「首相を引っ張り出すためなら意味がない」と指摘した。

    甘利氏、安倍首相を「休ませて」 コロナ対応で疲労蓄積を心配 | 共同通信
    tuka8s
    tuka8s 2020/08/16
    総理大臣なのだから、、、無理なら交代したらよいのでは?休んでもコロナウィルスは休まないからなぁ。
  • 「インパール作戦」を強行した牟田口廉也中将 毎夜料亭で酒を飲み、芸者を自分の部屋に | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン

    第二次世界大戦における旧日軍のもっとも無謀な作戦であった「インパール作戦」惨敗の主因は、軍司令官の構想の愚劣と用兵の拙劣にあった。かつて陸軍航空映画報道班員として従軍したノンフィクション作家・高木俊朗氏は、戦争の実相を追求し、現代に多くのくみ取るべき教訓を与える執念のインパールシリーズを著した。 インパールを知らぬ世代、必読! シリーズ第3弾『全滅・憤死 インパール3』より、インパール盆地の湿地帯に投入された戦車支隊の悲劇を描く「全滅」の冒頭を一部紹介する。 (全3回の1回目。#2、#3を読む) ◆ ◆ ◆ 早々に過半の兵力を失う状況下で流れた噂 それまで勇将として畏敬されていた将軍が、暴将とか狂将といった評価に急変した。 ビルマ方面の日軍を指揮した、第15軍司令官・牟田口廉也中将である。 昭和19年3月、多くの反対を押し切って、牟田口軍司令官がインパール作戦を強行した時は、一部で

    「インパール作戦」を強行した牟田口廉也中将 毎夜料亭で酒を飲み、芸者を自分の部屋に | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン
    tuka8s
    tuka8s 2020/08/16
  • 第2次世界大戦の英雄と、日本の過去との向き合い方 - BBCニュース

    小野田少尉は1974年3月9日、やっと自らの剣を引き渡した。29年間、フィリピンのジャングルで持ちこたえた。日に帰国後のインタビューや手記では、日が降伏したことを受け入れられなかったと述べた。 部外者には小野田は狂信者に見えた。しかし帝国時代の日では、彼の行動は完全に理にかなっていた。小野田は決して投降せず、天皇のために死ぬと誓っていた。女性を含めた他の国民も全員、同じ事をするはずだと彼は信じていた。 だがもちろん、そんなことはなかった。1945年8月15日、日の最高神である裕仁天皇は、天皇として前例がなかったことをした。ラジオに現れたのだ。原子爆弾が広島と長崎を破壊していた。2つ目の原爆が投下された日、ヨシフ・スターリンが日に宣戦布告した。ソビエト連邦軍はすでに、満州を席巻していた。数週間以内に、ソ連軍は北海道に上陸するとみられた。裕仁はアメリカへの降伏が最善の選択だと受け入れ

    第2次世界大戦の英雄と、日本の過去との向き合い方 - BBCニュース
    tuka8s
    tuka8s 2020/08/16
    “将校らは、アメリカの爆弾で多数の民間人の犠牲者が出たことを、ほとんど気にかけていなかった。彼らの関心はただ1つ、天皇制の維持だった。”こわいな。戦争でいっぱい人が死んだんだが、、、
  • データサイエンティスト生活でお世話になった本|武田邦敬|Kunihiro TAKEDA

    みなさんこんにちは。くにです。 データ分析の世界に足を踏み入れてから9年が過ぎました。 分析実務未経験でキャリアチェンジできたのは幸運としか言えませんが、ある意味無知だったからこそ無謀な挑戦ができたのかもしれません。この挑戦の泥臭い記録は、この記事に書きました。 ポジションは変われど、データを扱う仕事をまだ続けています。 私は実務で手を動かしつつ、不格好に失敗しながら学んできました。わからないことにぶつかるたびにを買い、そのでわからないことがあればまた屋に行き、自分が少しでも理解できそうなを探して買いました。そして、気になる参考文献があれば、それも買って読んでみる…。 こんな生活を続けているうちに、部屋がだらけになってしまいました。 正直に言って読み切ったという実感のあるはありません。しかし、実務で何かしらお世話になったは数多くあり、そういうは手放さずに手元に置いています。

    データサイエンティスト生活でお世話になった本|武田邦敬|Kunihiro TAKEDA
  • 「私の戦争は、終わらなかった」戦災孤児が語る、終戦後の"地獄"

    「みんなね、8月15日に負けて終わりました、気持ちが自由になったっていうけれど、あたしなんかそんなの全然なかった。そもそも戦争が終わったことも知らない。自分が生きるのに、精一杯でね」 BuzzFeed Newsの取材にそう語るのは、鈴木賀子さん(82)。東京大空襲で母親や姉を亡くし、孤児となった。 「空襲のあとも、生き残った姉と弟と一緒に暮らすことすらできなかったんですよ。どこにも、行くところはなかった。地獄そのものでしたよ」 日中戦争がはじまった翌年の、1938年に生まれた。幼少期を過ごしたのは、いまの東京都江東区、北砂という町だ。ガスタンクが近くにあったことをうっすら覚えていると話す通り、近くには大きな工場などもある住宅街だった。 運送業を営んでいたという父親を病気で亡くし、木造平家の長屋に母親とふたりの姉と弟と暮らした。裕福ではなかったが、下町らしい、ささやかで幸せな暮らしだった、と

    「私の戦争は、終わらなかった」戦災孤児が語る、終戦後の"地獄"
    tuka8s
    tuka8s 2020/08/16