2019年1月17日のブックマーク (2件)

  • 明星大学日本文化学科公開シンポジウム「古典は本当に必要なのか」を聴いた。~後篇 - みききしたこと。おもうこと。

    前回の続き。前回同様、xiao-2の聞きとれた/理解できた/書き留められた/覚えていた範囲。敬称は「氏」に統一。論理が飛んだり意味不明なところはだいたいxiao-2の能力不足なので、ちゃんと知りたい人はここから先は見ずに、動画のタイムシフト*1とか、Twitterまとめ*2を見るといいよ。 休憩を挟んで後半開始。司会は飯倉洋一氏(大阪大学 教授)。 飯倉氏 これからディスカッション。猿倉先生からの希望もあって、最初に皆さんに手を挙げていただきたい*3。 まず、ご自身の今の環境。「1.大学、あるいは研究関係である。2.国語教育関係。3.それ以外」それぞれ挙手してください。…わりと分布が均等。 もう一つ。現時点で皆さんは肯定派か、否定派か、どちらでもないか。 もう一つ。基調講演を聞いて、もともと考えていた考えが変わったか。…結構いる。その方がどういうふうに変わったかはあえて聞かない。 それでは

    明星大学日本文化学科公開シンポジウム「古典は本当に必要なのか」を聴いた。~後篇 - みききしたこと。おもうこと。
    turanukimaru
    turanukimaru 2019/01/17
    文字起こし有難い。が…"一段階抽象化して、内面化する"は駄目だろそれだから日本人は議論ができないんだよ!議論は外に出して共有した材料でやるんだよ!俺は知ってるってドヤ顔するだけだからお前ら駄目なんだよ!
  • 不味いカレーライスは1秒見れば分かる。 - Everything you've ever Dreamed

    カレーライスの呪いが解けない。家族にも秘密にしていたが、カレーライスを1秒見るだけで、美味しいか美味しくないかがわかってしまう、そんな呪いが僕にはかけられている。おかげで僕はカレーライスが出てきただけで、ガッカリすることがある。べ物とは、経験からある程度の予想はつくけれども、実際に口に入れてべてみて初めて味がわかるものであり、それがべるという行為の楽しみである。確かに、見た目だけで美味いか不味いかわかる、というのは、不味いものを回避できるというメリットもあるけれども、べるまで味がわからない、「見た目はアレだけどべたらオイシー!」という楽しみが失われるデメリットの方が大きいのだ。インジェラやコシャリのように、数年に一度べる機会があるかどうかのべ物ならまだいい。だが、国民ともいわれるカレーライスについてその楽しみが失われているのだから悲劇というほかない。僕だけがこのような理不尽

    不味いカレーライスは1秒見れば分かる。 - Everything you've ever Dreamed
    turanukimaru
    turanukimaru 2019/01/17
    クオリティの低いコメの説明をしてもらわないと分からないのだが…例えば寿司に古米を使う(こともある)という話もある。なお親が送ってきた自家消費用のくず米(明らかに小粒)の古米は確かに不味かった。