16世紀・コラ半島付近の地図の挿絵。ストルグ(ru)(歴史的な木製河川用平底船[1])を運ぶ人々。 17世紀・タギル連水陸路(タギル川(ru))を進むイェルマーク。 ロシア語では連水陸路を「волок / ヴォロク」と呼び [注 1]、「волочить:引きずる」という動詞に由来する。ロシア・ウクライナ・ベラルーシでは、キエフ・ルーシ期(9 - 13世紀)から連水陸路の利用が記録されており、航行可能な二河川間の連水陸路では、物資とともに、船自体を引きずる、あるいは担いでの運搬が行われた[3]。すなわち、中世にはラヂヤー(ru)(中世の船の一種)や丸木舟などの船が、目的の水路まで連水陸路を越えて運ばれていた。また、連水陸路沿いに建設・発展した都市もある(ヴォロコラムスク、ヴイシニー・ヴォロチョーク等)[4]。 連水陸路の多くは、運河、あるいは車両による他の交通手段に切り替えられたが、いくつ