元暦校本万葉集(古河本)の巻一の部分。左3行が『莫囂圓隣歌』 赤字の註は仙覚の試訓。 『莫囂圓隣歌』(ばくごうえんりんか)とは、『万葉集』に収録されている額田王の歌のうち、巻1の9番歌の俗称。『万葉集』で最も著名な難訓歌である。万葉集の解読が始まった天暦5年(951年)以来、多くの学者が訓みを試みてきたが、2002年現在でも上2句の12字は定訓を見るに至っていない。俗称は冒頭の4字に因む[1][2][3][4]。 題詞には斉明天皇が南紀白浜温泉に行幸した際に作られた歌とある。『日本書紀』によれば、斉明の行幸は斉明4年(658年)10月15日からであり、額田王は30歳くらいとされる[2]。 概説[編集] 原文[2] 幸于紀溫泉之時額田王作歌 莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣吾瀬子之射立爲兼五可新何本 「謁」の字は「湯」を充てる諸本も多いが、それ以外の重要な異同[注釈 1]はない[5]。間宮厚司は、現