明治から昭和にかけて行われた大合併の影響を受けており、村から町、町から市という流れを経て行政区域ならびに行政種別が変化してきた。行政区域または地名において、『日立』という名称が初めて使われたのは、1889年(明治22年)に旧宮田村と旧滑川村の合併によって誕生した「日立村」である[5]。 日立村の誕生にあたっては、明治7年に記された「佐藤敬忠事蹟書上」や、大正後期にまとめられた町政移行時の史料が詳しい[6]。なお、同史料は原本が消失しており、昭和32年に日立市が行った「日立市史編纂事業」の過程で行われた写本でのみ確認できる[5]。 宮田村と滑川村が合併して誕生した日立村であるが、文字通り、合併元の村に関する名称(文字)は含まれていない。「日立」の由来については後述する徳川光圀由来説なども存在するが、現存する書物、史料、日立市の歴史編纂活動によって、佐藤敬忠の影響が大きいことが明らかになりつつ
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