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ブックマーク / kmiura.hateblo.jp (5)

  • ホメオパシー、アロパシーなどなど - kom’s log

    ツイッター、アカウント自体はずいぶんまえから持っていたのだが、このところはじめてみた。でもどーも短い。 生後6ヶ月の子供が病気で死ぬまで「好転反応」とかいいながら親が座視している。日のホメオパシー協会の問題はオウムや在特会によくにている。あるいは死ぬまで「総括」な連合赤軍。毒を抜く、すなわち総括、すなわち排除だ。人間には宗教が必要なのかもしれない。無根拠に帰依する、あるいは「ネタにベタに没入する」ことがどうしても必要な衝動と弁証法的過程が人間にはあるのだろう。ニーチェ以来宗教は死んだが、恋愛が代替物になった、といったのは島田雅彦だったかな。 ホメオパシーはドイツが発祥の地だと、今回の一連の日での報道などを眺めていてはじめて知ったのだが、ホメオパシーという言葉は、ドイツで日常的に聞く。「あそこの医者はホメオパシー寄りなので、抗生物質をなかなか出さない良心的な医者だ」といったような感じで使

    ホメオパシー、アロパシーなどなど - kom’s log
  • 彼女が死んだ。 - kom’s log

    一ヶ月の間一緒に住んだ。二ヶ月の間、病院で過ごした。短い結婚生活が終わった。 脳幹の梗塞、ということで一度医師団に見放された後に奇跡的に復活したという話はここに書いた。その後の脳の機能回復は私からみるかぎりかなり目覚しく、瞬きを使ってどの曲を聴きたいか、などのコミュニケーションを交わすことができるようになるまで回復した。一方で脳ではなく体の予後が思わしくなかった。初期の激烈な血圧上昇剤投与を停止したことによる副作用と思われる虚血による後発性肝内胆道炎を起こし、おそらくそのことが原因となった肝膿瘍が発症からちょうど2ヵ月後に発見された。細菌の感染も軽微ではあるが、抗生物質で完全に排除することができなかった。脳、肝臓、感染の三つ巴のなかで、治療方針は難航を極め、集中治療室を出ることができずに時間ばかりが過ぎた。この間に私はリハビリについて調べ、特にリハビリの専門家であるバーバラ・ウィルソンの著

    彼女が死んだ。 - kom’s log
  • とある学位取得間近の院生へのお返事 - kom’s log

    全般に、帰らないと決めて渡航するのではなく、合ってたらそのまますみ続ければいい、ぐらいの感じで、フレキシブルに自分の将来を考えたほうがいいと思います。住む場所は自分で決めるものであって、いやになったら引っ越すことはいつでも可能です。 1、生活への適応 生活に関しては適応できなかった人をめったにみかけないのであまり心配しないほうがいいでしょう。合わない、と感じたらなるべく早く場所を変えることです。海外で暮らす上での一番大きなリスクはメンタルヘルスです。この点に気をつけて、ぎりぎりまで自分を追い込まないようにすればどうにかなると思います。 2、コミュニケーションについて コミュニケーションは言葉の問題ではなく、いいたいことをどれだけシンプルにわかりやすく人に伝えることができるか、という自己表現能力と、他人の話をそのメッセージどうりに理解する能力です。この能力と言語の技術的な能力は別のものである

    とある学位取得間近の院生へのお返事 - kom’s log
  • 歴史認識・デリダ・ハーバーマス - kom’s log

    合意形成の話はひとまずおいておいて、そもそもの問題の起点にまたもどる。「デリダを通ってしまうと、歴史的真実とか言えなくなる/言うということはデリダを裏切る」という東浩紀氏発言について昨年にひきつづきいくつかリンク。 ハーバーマスとデリダのヨーロッパ 三島憲一 (PDF 早稻田政治經濟學誌No.362,2006年1月,4-18) 90年代のデリダとハーバーマスの対立の経緯、および00年代になって収束した対立について詳しく書かれている。これを読んでみると、東浩紀氏が自身の歴史認識のありかたをデリダを通ったせいにするのは誠意がないなあ、と思う。少なくとも「80年代のデリダを通過した私には」ぐらいに限定したほうがよいだろう。冒頭に掲げられたデリダの言葉を眺めるだけでもよい。 「しばしば,この脱構築の時代と啓蒙とが対置されることがありますが,それは違うのです。私は啓蒙の味方,進歩の味方であり,􌔗進

    歴史認識・デリダ・ハーバーマス - kom’s log
  • 歴史の記述 - kom’s log

    小学六年生の時に、それまで私が生きた12年間の経験、起こったことをすべてノートに書き記そうと思い立ったことがある。記憶をすべて書いてしまおうと思ったのだ。分厚いノートを用意して、いざはじめてみたもののしばらくしてとても困ってしまった。すべてを書くにはあまりに時間がかかる。多分一生かかってしまう。ライフワーク。そのことに気がついた私は机に突っ伏した。挫折である。おかげで小学六年生以前のことを私はずいぶん忘れてしまった。比較するにはあまりにくだらない例でもうしわけないのだが、 野家は、そうした「忘却の穴」は「神の眼」でしか見通せないからこそ「物語りえぬことについては沈黙しなければならない」と言う ... 「語りえない」ものと「語りうる」ものの可能性の中で主体は分裂しているが、他方で「語りうるもの」と「語りえない」ものの間にこそ「証言」の主体はあるのだとアガンベンは言う。 ... 「語りえない」

    歴史の記述 - kom’s log
    tweakk
    tweakk 2008/12/21
    アガン弁なんていいからベンヤミンを読むんだ!
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