メダルも大いに期待されたスポーツクライミング女子複合で波紋を呼んだあるシーン。決勝進出選手中で最も背が低い森秋彩が、高く設定された最初のホールドをなかなかつかめなかったのだ。試合以前の問題では、という声もあがったが、森本人はあくまでも毅然と……。
メダルも大いに期待されたスポーツクライミング女子複合で波紋を呼んだあるシーン。決勝進出選手中で最も背が低い森秋彩が、高く設定された最初のホールドをなかなかつかめなかったのだ。試合以前の問題では、という声もあがったが、森本人はあくまでも毅然と……。
7月6日から7日にかけて愛知県・徳川園で行われた将棋の第65期王位戦第1局。藤井聡太王位(七冠)と挑戦者の渡辺明九段による対局は、千日手指し直しの末、想像をはるかに超える激闘となり……。“灼熱の名古屋決戦”を現地取材した記者が観戦記を寄せた。(全3回の3回目/#1、#2へ) 「詰みなんじゃないか」敗戦の覚悟を決めていた藤井聡太 王位戦第1局、指し直しの86手目。 藤井聡太王位は攻撃の切り札である龍を捨てて、渡辺明九段の陣形を乱しに行った。リスクを覚悟した上で敢行した、王者の踏み込みだった。 やや想定外のタイミングだったのだろう。詰むか否かのスリリングな攻防を余儀なくされたことは、持ち時間が尽きかけていた挑戦者の渡辺に小さくない動揺を与えたようだった。
10月11日の王座戦第4局を勝利し、将棋界の八大タイトル全てを手に入れ、「八冠王」となった藤井聡太。その飽くなき将棋への探究心の一端を示すエピソードを師匠・杉本昌隆の著書『藤井聡太は、こう考える』(PHP研究所)より抜粋して紹介する。(全3回の1回目/#2、#3へ) 藤井にとってはリスクを恐れることが、最大のリスク 肉を切らせて骨を断つとでもいえる、リスクを恐れない戦略と、それを下支えする藤井の構想力を象徴する対局があります。藤井にとってはリスクを恐れることが、最大のリスクなのでしょう。 14歳でデビューして最初の、C級2組順位戦での出来事です。二回戦中田功(いさお)八段(当時七段)、四回戦佐藤慎一五段との対局で、藤井は自ら崖っぷちを歩くかのような局面をつくり出し、完璧に読み切って勝利したのでした。自分の玉を「打ち歩詰め」(あと一手で相手の玉が詰む形で、持ち駒の歩を打って詰ませること。禁じ
「怪物と最も拳を交えた男」の目に、スーパーバンタム級での“衝撃の戴冠”はどう映ったのか。7月25日、井上尚弥がスティーブン・フルトンを圧倒し、8回TKO勝利を収めた。その井上のプロテストの相手役など長らくスパーリングで拳を交えてきたのが、元日本2階級制覇王者の黒田雅之だ。引退から1年。この試合の分岐点とともに、現役時代に体感した「井上尚弥の衝撃」を訊いた。(全2回の2回目/前編へ) フルトンが手詰まりになった「ある攻防」 黒田には、ぜひ見てほしい攻防があるという。第3ラウンドの25秒過ぎ。井上のボディジャブに合わせて、フルトンが右ストレートのカウンターを放つ。だが、井上はその上をいき、フルトンの右に対し、左フックのカウンターを打っている。カウンターへのカウンターだ。 ――すごくハイレベルな攻防です。 「井上選手のボディジャブに対して、フルトンが打った、右の打ち下ろしって有効だと思うんです。
「怪物と最も拳を交えた男」の目に、スーパーバンタム級での“衝撃の戴冠”はどう映ったのか。7月25日、井上尚弥がスティーブン・フルトンを圧倒し、8回TKO勝利を収めた。その井上のプロテストの相手役など長らくスパーリングで拳を交えてきたのが、元日本2階級制覇王者の黒田雅之だ。引退から1年。この試合の分岐点とともに、現役時代に体感した「井上尚弥の衝撃」を訊いた。(全2回の1回目/後編へ) 「大橋ジムで見た光景」が再現されたフルトン戦 ――まず、なぜ井上はフルトンを圧倒できたと思いますか。 「1ラウンド目から井上選手が距離を支配していました。ジャブと距離で試合を組み立てるフルトンが、一番得意なところで潰された。ボクサーとしては精神的にショックです。井上選手はどの試合を見ても、相手の土俵でも上回る、そういうイメージがありますよね。しきりに『追う井上尚弥』と言っていましたが、ファイターみたいにガンガン
スーパーバンタム級最強と目されたフルトンに8回TKOで勝利をおさめた井上尚弥。衝撃の完勝劇の裏にはどんな駆け引きがあったのか? 井上尚弥vs.フルトンの”勝負を分けたポイント”を元WBA世界スーパーフライ級王者の飯田覚士氏が2回にわたって徹底解説! 第1回は、試合の趨勢を決めた序盤の攻防についてーー。<全2回の#1/#2へ> 井上尚弥の何が凄かったのか… 「相手が強くなきゃ実力以上のもんは出ない」 永遠のバスケット漫画「スラムダンク」で桜木花道の試合を見守る親友・水戸洋平が語った言葉がふと思い出された。元WBA世界スーパーフライ級王者、飯田覚士氏の「解説」を聞き終わった後のことだ。 確かに井上尚弥は強かった。そしてまたわざわざ敵地まで乗り込んだスーパーバンタム級2団体世界王者スティーブン・フルトンもさすがだった。
スーパーバンタム級最強と目されたフルトンに8回TKOで勝利をおさめた井上尚弥。衝撃の完勝劇の裏にはどんな駆け引きがあったのか? 井上尚弥vs.フルトンの”勝負を分けたポイント”を元WBA世界スーパーフライ級王者の飯田覚士氏が2回にわたって徹底解説! 第2回は、フルトンの”奇策”を超えた井上の対応力について――。<全2回の#2/#1へ> フルトンが井上に対して取った”奇策” 井上尚弥が井上尚弥なら、フルトンもまたフルトン。 挑戦者の“誘い水作戦”に唸った一方で、スーパーバンタム級の猛者に競り勝ってきた2団体世界王者が取ってきた“奇策”も世界のボクシングを長年見てきた飯田覚士を驚かせていた。 「フルトン選手がどうしたかっていうと、これまでの試合と比べて足のスタンスを明らかに広げてきた。その前足で尚弥選手の踏み込みを邪魔して、懐の深さをつくっていたんです。だから同じオーソドックス(右構え)なのに
世界最高峰の舞台で、鮮烈なデビューを飾った1年。前人未到の境地へ駆け抜けるこの目には、今、一体どんな景色が見えているのか――。プレミアから日本代表まで、三笘薫がその全てを語った。 現在発売中のNumber1075号掲載の[ロングインタビュー]三笘薫「僕はもっと進化できる」より内容を一部抜粋してお届けします。【記事全文は「NumberPREMIER」にてお読みいただけます】 「もちろん僕も自分の感覚を大事にしていますし、最終的には信じます。でも、それが合っていないのに信じていたらバカじゃないですか。自分がいい動きをしたとしても、他の人にはそう見えないときもある。自分では速いと思ったけど、本当は速くないときもある。だから僕はあらゆる手段を使って自分の主観が正しいかを確かめたいんです」 実力でも人気でも日本サッカー界の顔に 三笘にとって2022-'23シーズンは、新たな扉を開く1年になった。 初
地中海の国にある野球の世界は驚きに満ちていた。 セリエBといえば聞こえはいいが、もちろんプロじゃない。トップチームの仲間たちは当時30歳になったばかりの僕とほぼ同年代で皆、本業を持っていた。 主将で遊撃手のアントニオは印刷屋。アメリカかぶれなので「俺のことは“トニー”と呼べ」と全員に命じていた。控え捕手のフランチェスコは薬剤師で、いつも練習帰りに「乗ってくか」とベスパの後ろに乗っけてくれたナイスガイだ。もう一人いる別のフランチェスコは無職の主戦投手で、本人曰く「俺のストレートは最高速130キロ」だが、スピードガンがクラブにないので信憑性がなかった。ついでにスタミナもなかった。 練習は週3度で、週末に試合というルーティン。移動は分乗。決まった集合時間はなく、各自が仕事の都合に合わせて可能な時刻に三々五々集まった。スーパー店員、運送屋、PCサービス等など、それぞれの職業はバラバラだったが、野球
相撲、どこに行ったら見られるの? 屋根のある球場だけでなく、選手たちのほとんどは日本に来ること自体が初めて。だからこそ目にするものすべてが新鮮だった。ジーマはうれしそうにこう続けた。 「日本の文化も食べ物も気に入ったよ。スシに、ラーメン。何ていう名前だっけな、あのラーメンは……。とにかく辛くておいしかった。日本の文化や伝統もいいね。お寺とか、細かいディテールにこだわるところとか」 ディテールとは? 「例えばレストランで、箸の置き方とかもてなしの仕方とか。何でもきちんとした決まり、約束事がある。(土俵に上がってから儀式がある)相撲もそうだよね。実はすごく相撲を見に行きたいと思っているんだ。どこに行ったら見られるの? 連れていってほしい」 そう言って人懐っこそうな笑みを浮かべた。 チームの大黒柱は「本業・消防士」 チェコ代表は、昨秋にドイツで行われた予選A組(ヨーロッパ・アフリカのチームが出場
多くの人がもやもやした気持ちを抱えたまま、フィギュアスケート女子を観戦することになった。 ROC(ロシア五輪委員会)の北京五輪フィギュアスケート代表、カミラ・ワリエワの検体から禁止薬物が検出されたというニュースが発表されたことで、彼女の個人戦出場は一時不透明な状態になった。そして出場できるか否かはCAS(スポーツ仲裁裁判所)の手に委ねられた。 そして、2月14日午後。ワリエワに「出場許可」というニュースが届けられた。なお、3位以内に同選手が入賞した場合は、表彰式やメダル授与式を実施しないという。 今回の経過、裁定に関してはすでにニュース速報などでカバーされているはずなので、ここでは、今回の一連の騒動、そしてロシアの抱える問題に焦点を当てたい。 ワリエワ本人に“ドーピングの意思”はあったのか? 15歳が禁止薬物を自ら購入し、摂取したのか。 ドーピングのニュースが出た際、多くの人が違和感を感じ
「いや、お前が言うなよ」 これは、僕が海外生活において脳内で発したランキング、堂々1位のセリフです。自分の実力、過去の言動、現在置かれた立場、すべてを棚に上げて平気な顔で意見を言ってくる西洋や南米、アフリカの人たちに対しての第一感であり、「いやいやいや、お前が言うなよ」が第2位であることを考えても、その突出具合は際立っています。 「自分のことは棚に上げる」どころか、あげた棚ごと鍵をかけて窓から放り投げ、割った窓を背景に腕を組んで仁王立ちしているくらいの整合性の取り方の時もあり、僕は困惑や怒りを通り越して尊敬の眼差しを送ることになります。どの口が言うんだよ、よりも先に、反射とも取れるような速度で心の中にある意見を口から表出できることへの羨ましさを感じるのです。 それってこどもの特権じゃないの?と思いつつ、その意見が(僕にとっては)どんなにピントが外れたものでも、目を見て、素早く、堂々と言われ
「日本の敗戦は見た」 それがフィリップ・トルシエの第一声だった。日本がサウジアラビアに0対1で敗れたカタールW杯アジア最終予選第3節の試合終了直後、私たちは電話で話し合っていた。緒戦のオマーン戦に続き、接戦をモノにできなかった日本代表をトルシエはどう評価したのか。率直な意見を聞いた。 ――試合をすべて見たのですか? 「放映するテレビ局を見つけるのが難しく、アラブの放送を見たから幾つかのシーンは見られなかった。 どうしてなのかわからないが、日本はコレクティブな面で敗れた。コレクティブなクオリティを欠いていた。内容も乏しかった。個の面でも技術的なミスが多く、選手の能力も見劣りがした。インテンシティも動きも質・量ともに不十分で、試合の重圧があったのかも知れないが、これまで日本が作りあげてきたDNAがこの試合では何も感じられなかった。 たしかに大迫はチャンスを2度作り出し、これだけ出来の悪い試合で
オリンピックがはじまる少し前、開幕の是非を討論するテレビ番組を見た。そこで出演者の有森裕子さんが、「アスリートファーストではなく、社会ファーストで考えるべき」という主旨の発言をしていて、深く心に残った。 討論番組の放送時よりもさらに事態は悪化しているが、パラリンピックも開幕している。開幕直前、国際パラリンピック委員会の人が、「《パラリンピックの中》と《外の社会》はまったく関係がない」と言っていて、心底驚いた。 夏の甲子園も新型コロナウイルスの感染が相次ぎ、辞退する高校も出る中、大会は強行された。 「スポーツ」だけがパラレルワールドにある状態が続いているが、この感じは、どこか身に覚えがあった。「社会の中のスポーツ」は私の中でずっと、パラレルワールドだった。その世界は「スポクラ」という名前だった。 なにもかもが異色の「スポーツクラス」 私の通っていた高校は、全国屈指のスポーツ強豪校として知られ
閉幕した東京五輪。来日した外国人記者・カメラマンらに、大会の終わりに“本音”を聞いた。彼らが話してくれた「コンビニ愛」、「交通のもどかしさ」そして「日本人のホスピタリティ」とは――。 「オリンピックの取材を10回、12回、14回と重ねてきたベテランカメラマンであっても、今回に限っては一歩ずつ、様子を見ながら前に進むしかない」(ジョー・マクナリー氏、アメリカ人カメラマン)。地元から「望まれない」なかでの来日、到着後の自主隔離、猛暑……とアスリートのみならず、取材陣にとっても異例尽くしのオリンピックだった。 来日した取材陣のルーティンは「まず3日間の隔離生活を送った後、『オリンピック・バブル方式』に移行する、というものだった。(五輪関係者を外部と遮断するため)指定された宿に泊まり、専用シャトルバスで競技会場へ移動し、競技が終わると再びシャトルバスに乗り込み宿へ帰るというもの」(同前)。 もちろ
ウサイン・ボルトが五輪3連覇を達成したリオ大会のタイムに0.01秒先んじて世界最速の男になったジェイコブスは、レース後も夢見心地で母国イタリアの記者団に何度も確認した。 「信じられない。俺が本当にオリンピックで金メダルを獲った……? ちょっと待ってくれ、夢じゃないですよね? レースの後、ファイナリストの皆が祝福してくれて記念撮影したんです。(これまでの習慣で)脇に立ったら、皆が『オイオイ、勝ったのはおまえだろ。主役がセンターにいなきゃ駄目じゃないか』って。『スマン、こんな晴れ舞台に慣れてないから』って思わず謝りました」 ジェイコブスは大穴中の大穴だった。 彼の名がイタリア国内にもようやく知られるようになったのは、今年5月13日に新ナショナル・レコードとなる9秒95を出したときだ。それまでイタリア短距離界の顔といえば、18年6月に同国陸上競技史上初めて10秒の壁を破り、テレビCMにも出演する
イビチャ・オシムに電話をしたのは、東京五輪男子サッカー準決勝・日本対スペイン戦が始まる50分前だった。東京五輪については、プレスパスを取得できなかったこともあり、仕事をする気はほとんどなかった。大会前のテストマッチは男女ともにほぼすべて取材したものの、それで自分の五輪は終わりだと思っていた。そうであるから、イビチャ・オシムやフィリップ・トルシエが、日本五輪代表のほぼすべての試合を見ることが可能だったことが後に分かっても、彼らから話を聞くという発想は端からなかった。 だが、その気になればかなりいろいろ仕事ができたと思ったのは、男子グループリーグ最終戦の日本対フランス戦の前日だった。それでも仕事モードになかなか切り替わらず、トルシエに電話したのが日本対スペイン戦の小一時間前、連絡がつかずにオシムに電話したのがその直後だった。 電話口に出たアシマ夫人の声は溌剌としており、それだけでオシムの健康状
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く