〇戦争前の宜野湾 -本島中部の一農村- 戦前の宜野湾村(現:宜野湾市)は、農業を中心とした人口1万3,600人余の村(昭和19(1944)年10月時)であった。宜野湾村字宜野湾(現在の普天間飛行場内)には村役場があり、琉球王国時代から村行政の中心地として発展し、普天間は普天満宮を中心に門前町として栄え、沖縄県立農事試験場普天間試験地や中頭教育会館、中頭地方事務所の官公庁も置かれていた。また、村域の南側に位置する嘉数から北側の普天間までの約6キロ間には、琉球王国時代に植付けられた“ジノーンナンマチ(宜野湾並松)”と呼ばれるリュウキュウマツの並木道があり、昭和7(1932)年には国の天然記念物に指定され、県下に広く知られていた。 主となる換金作物はサトウキビで、主食のイモや大豆なども栽培していた。大正11(1922)年に沖縄県営軽便鉄道嘉手納線が開通すると、収穫したサトウキビはトロッコや荷馬車