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2011年12月14日のブックマーク (2件)

  • 慰安婦の碑:政府が韓国に抗議、早期撤去求める - 毎日jp(毎日新聞)

    ソウルの日大使館前に設置された元従軍慰安婦を象徴する「平和の碑」=2011年12月14日、澤田克己撮影 政府は14日、韓国の市民団体がソウルの日大使館前に旧日軍の元従軍慰安婦を象徴する少女のブロンズ像を設置したことについて、在韓国大使館を通じ、韓国政府に抗議するとともにブロンズ像の早期撤去を求めた。 武藤正敏駐韓国大使が韓国外交通商省の朴錫煥(パク・ソクファン)第1次官に対し、「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会が慰安婦の碑の建設を強行したことは誠に残念であり、早期の撤去を求める」と要請。朴次官は「慰安婦問題は日政府が解決に向けて努力すべきだ」と述べたという。 これに関連し、藤村修官房長官は同日の記者会見で、元慰安婦の韓国人女性らの賠償請求権について「日韓請求権・経済協力協定により、完全かつ最終的に解決済みだ」と述べ、政府として請求権をめぐる協議には応じない考えを改めて示した。

  • 【関西事件史】附属池田小児童殺傷(7)監禁された先輩記者(1/5ページ) - MSN産経west

    大阪教育大附属池田小学校の児童殺傷事件からまもなく1年になろうとしていた。平成14年6月某日の夜。私は必死になって、金づちを振りあげる元死刑囚、宅間守の父親の太い腕を押さえていた。 「この野郎、邪魔するな!」 「やめてください!」 宅間の父親は、大阪府警捜査2課担当だった私と一緒に兵庫県伊丹市内の宅間の実家を訪れた捜査4課担当の鈴木哲也(現豊岡支局長)の胸ぐらをつかみ、自宅に連れ込もうとしていた。それを阻もうと玄関先でもみ合いになり、父親がそばにあった金づちを私に向かって振り上げたのだ。 鈴木が割って入り、なんとか手を下ろさせたが、逃げ出すことは完全に不可能だった。鈴木は顔を引きつらせながらも小さくうなずいて「大丈夫」というサインを送り、父親に連れられ自宅の中に消えていった。 こうなったのには理由がある。2人は事件後、宅間の人物像や生い立ちを追いかける「宅間班」で一緒に取材をしていたが、鈴

    type2mk22
    type2mk22 2011/12/14
    外道新聞と改名してもいいレベルですな。