黒田官兵衛が賤ヶ岳の合戦に参戦していたことを示す古文書。左下は、秀吉直筆の花押(長浜城歴史博物館提供) 羽柴(豊臣)秀吉が柴田勝家と戦った賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦(1583年)のさなかに、前線に作戦を指示した文書が見つかり、長浜城歴史博物館(滋賀県長浜市)が10日、発表した。 秀吉の花押(かおう)(サイン)の字が乱れ、緊迫感が伝わる書面。江戸時代の資料でしか知られていなかった秀吉方軍師・黒田官兵衛の参戦を裏付ける記述もあり、同館は「ほとんど記録のない合戦の生々しさがうかがえる資料」としている。 京都市の古美術商が保管していた文書(縦30センチ、横45・4センチ)で、同館が昨年5月に鑑定、秀吉直筆の花押を確認して購入した。 同館によると、文書は、羽柴、柴田両軍が長浜市北部の余呉湖周辺で対峙(たいじ)した頃の天正11年(1583年)3月30日付。長浜城にいた秀吉が、前線で指揮を執る弟・秀長に