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2008年10月12日のブックマーク (5件)

  • 田代まさし「獄中で見た景色、あのころの家族の夢」 : 日刊サイゾー

    今年の6月に元タレント・田代まさしが3年半ぶりに出所、7月には都内でトークライブを行ったことをサイトでも伝えた(記事参照)。 田代氏は04年に二度目の覚せい剤所持が発覚して逮捕・投獄、約3年半の刑期を終えて黒羽刑務所を出所した。その後、雑誌『創』主宰のイベント等に出演するものの、これといって大々的な復帰の話は聞かない。では、現在田代氏は一体どういう生活を送っているのだろうか。我々取材班は東京某所を訪ね、獄中生活と現在の胸中について語ってもらった。 ──出所されてから3ヶ月が経ちましたが、体調はいかがですか? 【田代】 体調も良くなって、やっと人間らしくなってきました。”シャバボケ”といって、長年刑務所に入っていた人が出てくると社会に適応するまで3ヶ月程かかるそうなんですが、ようやく自分も現実に慣れてきたと思う。今は毎日散歩をしたりテレビを見たりして自宅療養しています。 ──刑務所ではどん

    田代まさし「獄中で見た景色、あのころの家族の夢」 : 日刊サイゾー
  • 評論家・佐高信が喝!「日本にいい企業なんて無い」(前編)

    毎年、新卒者向けに日経済新聞社やリクルートが発表する人気企業ランキング。 しかし、上位にい込む人気企業の中には、学生が抱くイメージとその実態がかけ離れた企業も少なくない。日企業を監視し続け、その腐敗ぶりに対しては一家言ある「週刊金曜日」発行人にして評論家の佐高信が、人気企業の化けの皮を暴く! 日経HRと株式会社ディスコが共同運営する、 大学生向けの新卒就職情報サイト「日経ナビ」 が、昨年10月~12月にかけて、就職活動を控 えた全国の大学3年生男女を対象に行った就 職希望企業調査の結果より。 ──今日は、「日経ナビ」の2008年度版人気企業ランキング【表参照】を例に、お話を聞いていきたいと思います。佐高さんから見て、この結果はどう思われますか? 【佐高】 まず、論評に値しないですね(笑)。1位が全日空となっていますが、航空会社は事故も多く、今、大変な時期にあることを大学生はわかってい

    評論家・佐高信が喝!「日本にいい企業なんて無い」(前編)
    u-chan
    u-chan 2008/10/12
  • B-CASの違法性について - 池田信夫 blog

    ASCII.jpの記事について各社から問い合わせがあったので、補足しておく。情報源は明かせないが、この内容は一次情報にもとづくものである。AV Watchの記事でも、「B-CAS見直しについては、法律などによる著作権保護の制度エンフォースメントについても議論されていたが、村井委員長は技術と契約によるエンフォースメントを基としながら、見直しを図っていく方針を示した」と書かれている。「霞ヶ関文学」独特のわかりにくい表現だが、「著作権保護のエンフォースメント」とはダビング10のことだ。 B-CASは来の限定受信システムとしてではなく、コピー制御に使われる末転倒になっている。コピー制御のためなら視聴者の個人情報をコントロールするB-CASは必要ないが、B-CASによる暗号化をやめると、コピー制御信号が無視できるようになる。このためダビング10を法的に義務づけてほしい、というのが放送業界の要

  • 痛いニュース(ノ∀`):B-CAS事実上の廃止へ…ネット世論が「業者行政」を押し切る

    B-CAS事実上の廃止へ…ネット世論が「業者行政」を押し切る 1 名前: く 投稿日:2008/10/07(火) 19:30:40.48 ID:38srYmgf● 総務省の「デジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会(デジコン委員会)」は9月26日、地上デジタル放送のB-CASを見直すことを決めた。6月にまとめられた第5次答申では「消費者や権利者の立場からB-CASについてさまざまな指摘が行なわれた」ことを理由に廃止の方向を打ち出している。放送局も反対していないので、B-CASの廃止が事実上決まった。 B-CASがなくなると、ダビング10の信号は受信機で無視できるようになるので、これを どうするかが焦点だ。デジコン委員会の村井純主査(慶應義塾大学教授)は「技術と契約」 で対応する方針を示した。しかし、法律で強制しない限り、ダビング10に対応するか どうかは受信機メーカーの自由だ。

    痛いニュース(ノ∀`):B-CAS事実上の廃止へ…ネット世論が「業者行政」を押し切る
  • 武士の発生と成立・下向井龍彦氏の「兵=武士」 /北道倶楽部

    寛平・延喜の軍制の改革  武士第一号・延喜勲功者 平将門・天慶の乱  天慶勲功者 寛平・延喜の軍制の改革 895年(寛平7)物部氏永を頭とする板東群盗が搬送中の官物の強奪を繰り返し、関東諸国の兵が討伐に向かうと足柄峠や碓氷峠を越境し他国へ逃走してしまいどうしようもありません。 899年には上野国から、また武蔵国からも、そして901年(延喜1)には信濃国から東国群盗蜂起の早馬が。 こうした寛平・延喜の群盗蜂起の鎮圧過程で朝廷も先の国政改革と平行して軍制の改革も行います。 これもまた下向井龍彦氏の著書からですが、 これが下向井説の国衙軍制の始まりです。ただし現存する資料のなかにぼんやりと浮かび上がってきたものの正体を推測するために無理矢理画像処理でコントラストを上げたみたいなところはあります。従って輪郭の位置は正確とは言えないかもしれません。 おまけに異論も出されています。その「異論」について