東京五輪・パラリンピックに向けて新設された有明体操競技場(東京都江東区)が28日に開幕したトランポリン世界選手権でこけら落としとなった。五輪の新設会場としては最多の木材が使われているのが特徴で、観客には「木のぬくもり」が好評な半面、座席の硬さから「お尻が痛くなる」とのため息も漏れる。【円谷美晶】 世界トップ選手の演技の熱気が伝わる観客席で、マフラーをお尻の下に敷いて観戦していたのは、近くから夫婦で訪れた松田和郎さん(72)。客席の硬さを事前の報道で知り、マフラーは巻くためでなく敷くために持参した。隣の妻昭代さん(84)は腰痛持ちで「若い人はいいけど、硬くて何時間も座っていられないね」とこぼした。 競技場は大会組織委員会が205億円を投じて10月に完成。3階建て延べ約3万9000平方メートルで、シンボルである世界最大級の木製アーチ屋根(全長約90メートル)や客席(約1万2000席)などにスギ
◆◆◆ 地元後援会はツアー旅行のつもりだから悪気がない ――メディア取材が殺到しているそうですね。 田村 先週(11/18~)はすごかったですね。「桜を見る会」野党追及チームが動き出したこともあって、毎日のように取材が入っていましたから。 ――そもそも11月8日の参院予算委員会で「桜を見る会」を取り上げるきっかけは? 田村 4月の東京新聞の記事があって。そのあと5月の宮本徹さんの衆議院での質問。そのときは「芸能人をどんどん呼んでいるんじゃないか」ぐらいでした。ただ、それがきっかけでうちの『しんぶん赤旗』が独自に取材を進めて、安倍総理の地元後援会の方に聞いて回るとみなさんツアー旅行のつもりでお金も払って参加しているから悪気がない。色々お話が聞けて、どんどん証拠が出てきて、赤旗で記事になった。 11月8日の参議院予算委員会で質問を行なう田村智子議員 ©AFLO ――それが10月13日。 田村
かつて大宮アルディージャや京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)も率いた、ピム・ファーベーク氏が逝去した。63歳だった。オランダメディア『テレグラフ』などが伝えている。 1956年生まれのピム氏は現役引退後、フェイエノールトなどオランダのクラブを指揮し、1998年に大宮の監督に就任。翌年まで務めると、オランダ代表のスタッフ、韓国代表やアイントホーフェンのアシスタントコーチに就任。その後京都に監督として加入した。近年はアジア各国の代表監督として活躍。2006年から翌年にかけて韓国代表、2007年から2010年にかけてはオーストラリア代表監督を務めると、モロッコ代表のジュニアディレクターを経て2016年から今年までオマーン代表を指揮した。
衆院憲法審査会で発言機会に恵まれず立腹する自民党・石破茂氏(中央)を宥める同・山下貴司氏と稲田朋美氏(右)=28日午前、国会(春名中撮影) 自民党の石破茂元幹事長が28日、衆院憲法審査会で発言を求めたが最後まで指名されず、憤激する一幕があった。審査会後、周辺に「全然当たらない」とこぼした。 この日の審査会は約1時間10分で、与野党幹事による欧州視察を踏まえた自由討議が行われた。各会派1人ずつ意見を表明した後、発言希望者はネームプレートを立て、佐藤勉審査会長(自民)が指名した。 佐藤氏は国民民主党の玉木雄一郎代表や自民党の中谷元・元防衛相ら発言を希望する与野党議員を次々と指名したが、石破氏は指名されなかった。審査会後、憲法審幹事で自民党石破派の山下貴司元法相らがなだめたが、憤懣(ふんまん)やるかたない様子を見せていた。
<少数民族が武装闘争を続けるミャンマーで新たな混迷を呼ぶ「アラカン軍」が支持される複雑な理由> 「ゲリラになったのは、15歳のときだった。貧しさから抜け出すにはそうするしかないと思ったから」 丸顔に人懐っこい笑みを浮かべたアウン(29)が、意外な経歴をさらりと明かした。デニムにTシャツ姿、カフェでミャンマー式の甘いコーヒーをしきりに勧める今どきの青年が、ジャングルで銃を片手に国軍と戦う姿はどうにも想像できない。 アウンはラカイン人という少数民族の出だ。彼らが暮らすミャンマー西部のラカイン州は、2017年8月に起きたイスラム系少数民族ロヒンギャに対する大規模な弾圧によって、一躍世に名を知られるようになった。仏教徒であるラカイン人はロヒンギャに対する差別や暴力に加担し、民族対立をあおったとして、世界に「悪名」をはせている。 昨年、同州を取材したときは事件から間もないこともあり、多くのラカイン人
香港政府と中国共産党への抗議活動が本格化して5カ月余り。催涙弾と火炎瓶が飛び交うデモ現場で恋が生まれることもある。大学生のデニス君(19)=仮名=と高校生のルビーさん(17)=同=はそんなカップルだった。 2人が出会ったのは7月1日。若者たちが立法会(議会)に強行突入した日のことだ。 デニス君は「みんな、ガラスを割って建物に入っていったので、軽い気持ちでついていった」という。 議場では、若者たちが鉄の棒やハンマーで机、いす、壁をたたき壊していた。「手袋をしていない人は何も触るな」。誰かの声が聞こえた。指紋の証拠を残すなという意味だろう、素手だった彼は破壊活動に加わらなかった。 深夜になって外に出ようとしたとき、荒れた議場を見つめる少女がいた。「何をいつまで見ているんだ。一緒に逃げよう!」 警官隊が立法会に近づいていた。黒いマスクにメガネ姿の2人は手を取り合って走って逃げた。催涙弾が撃たれた
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く