取材・文/田中昭三 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されることが確定した。今回は、この「遺産」が生まれた背景とともに、そもそも「潜伏キリシタン」はどういうものだったのか、解説しよう。 16世紀に日本に伝来したキリスト教は、九州を中心に多くの大名とその領民に受け入れられたが、後に江戸幕府はそれを厳禁。それ以後明治6年の解禁に至るまで、キリスト教は九州の一部の地域を中心に秘かに信仰されてきた。この長崎県と熊本県の天草地方に残る12のキリシタン関連遺産から構成されるのが、世界遺産に登録される「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」である。 そのひとつ、長崎県の五島列島には、50もの教会が立つ。禁教時代、教会建設などもっての外。五島列島に立つ教会はいずれも明治以降の建設で、多くが信徒の浄財で建立された。 五島列島は海岸線が複雑に入り込んだ、いわゆるリアス式海岸の島。
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