2008年1月8日のブックマーク (2件)

  • 実はなかった!関ヶ原の合戦 おそるべき東軍のプロパガンダ - bogusnews

    西暦1600年の「天下分け目の合戦」として知られ学校でも教えられている「関ヶ原の合戦」が、実は起きていなかった?! そんな指摘が、このところ各方面で相次いでいる。在野の研究者や作家、ネットのブロガーらで熱心な 「関ヶ原なかった」派 を形成して研究を進めており、注目を集めつつある。左翼の偏向思想に毒された歴史教育へ一石を投じるきっかけとなりそうだ。 「関ヶ原なかった」派が論拠とするのは、まず第一に「あった」派の著した関ヶ原関連資料(「まんが猿飛佐助」など)が、のきなみ西軍総大将が石田三成であるかのように描かれていること。実際には当時の三成は奉行職を解かれるなど冷遇されており、とても忍者軍団を指揮する余裕などなかった。こうした誤りを含む「あった」派の主張には信頼がおけないというのだ。 第二に、10万近い軍勢が集ったはずの関ヶ原が新幹線停車駅でないこと。合戦は昔から交通の要衝で起こるのが相場であ

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    uchya_x
    uchya_x 2008/01/08
  • 「ありえない」論法と否定論存続の背景 - Apeman’s diary

    (1) 最初に、なにをもって「南京事件否定論」と呼んでいるのか、「歴史修正主義」と呼んでいるのかを再確認しておきましょう。南京事件否定論を巡る議論に馴染みのない方がこの数日おいでになっている可能性が高いので。 「否定論」「修正主義」と私が呼ぶ第一の基準は、犠牲者数推定の数ではありません(結果的には数がメルクマールになりますが)。犠牲者数推定を行なう手法、そしてなによりその目的が基準です。例えば秦郁彦の『南京事件』(中公新書)では、当時(1986年刊行)入手可能だった「日軍の公的記録を個別に割引せず、そのまま積みあげてみた」結果として、「捕らわれて殺害された中国兵の推計」を3万人としています。笠原説との違いは「捕われて殺害された」ケースに限定するかどうかによるところが大きく、捕虜の殺害についてあれこれ正当化し割り引くことはしていません*1。また民間人の犠牲についての中国側の主張に対しても次

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    uchya_x
    uchya_x 2008/01/08
    さて、自称中立の人はこれを読んだ後どういう態度を取るのかな?