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ブックマーク / www.uc-japan.org (47)

  • 第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理

    第一節 サタン屈伏の典型的路程 第二節 モーセを中心とする復帰摂理 第三節 イエスを中心とする復帰摂理 アモス書三章7節に、「主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」と記録されているみ言のように、聖書には、神の救いの摂理に関する数多くの秘密が隠されているのである。しかし、人間は神の摂理に対する原理を知らなかったので、聖書を見ても、その隠れた意味を悟ることができなかった。聖書においては、一人の預言者の生涯に関する記録を取ってみても、その内実は、単純にその人の歴史というだけにとどまるものではなく、その預言者の生涯を通して、堕落人間が歩まなければならない道を表示してくださっているのである。ここでは特に、神が、ヤコブとモーセを立てて復帰摂理路程を歩ませ、それをもって、将来、イエスが来られて、人類救済のために歩まねばならない摂理を、どのようなかたちで

  • 第一章 復帰基台摂理時代

    第一節 アダムの家庭を中心とする復帰摂理 第二節 ノアの家庭を中心とする復帰摂理 第三節 アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理 第一節 アダムの家庭を中心とする復帰摂理 堕落はたとえ人間自身の過ちから起きたものであるとしても、神がその堕落人間を救わなければならない理由については、既に前編第三章第二節(一)で論じた。ゆえに、「メシヤのための基台」を立てて、堕落人間を復帰なさろうとする摂理は、既にアダムの家庭から始まっていたのである。 既に緒論で論じたように、アダムはサタンと血縁関係を結んだので、神とも対応でき、また、サタンとも対応することができる中間位置におかれるようになった。したがって、このような中間位置におかれた堕落人間を天の側に分立して、「メシヤのための基台」を造成するためには、堕落人間自身が何らかの蕩減条件を立てなければならない。 ゆえに、アダムの家庭が「信仰基台」と「実

  • 緒 論

    (一)蕩減復帰原理 (二)復帰摂理路程 (三)復帰摂理歴史と「私」 復帰摂理とは、堕落した人間に創造目的を完成せしめるために、彼らを創造然の人間に復帰していく神の摂理をいうのである。前編で既に論証したように、人間は長成期の完成級において堕落し、サタンの主管下におかれるようになってしまった。したがって、このような人間を復帰するためには、まず、サタンを分立する摂理をなさらなくてはならないのである。しかし、既にキリスト論において詳しく論じたように、堕落人間がサタンを分立して、堕落以前の然の人間として復帰するには、原罪を取り除かなければならない。ところで、この原罪は、人間が、その真の父母として来られるメシヤによって重生されるのでなければ、取り除くことはできないのである。それゆえに、堕落した人間はサタン分立の路程を通して、アダムとエバが成長した基準、すなわち、長成期の完成級まで復帰した型を

  • 第七章 キリスト論

    第一節 創造目的を完成した人間の価値 第二節 創造目的を完成した人間とイエス 第三節 堕落人間とイエス 第四節 重生論と三位一体論 救いを望んでいる堕落人間においては解決すべき問題が多い。その中でも重要なものは、神を中心とするイエスと聖霊との関係、イエスと聖霊と堕落人間との関係、重生と三位一体など、キリスト論に関する諸問題である。しかし、今日に至るまで、だれもこの問題に関する明確な解答を得ることができなかった。このような問題が未解決であるということによって、これまでキリスト教の教理と信仰生活に、少なからず混乱を引き起こしてきたのである。ところで、この問題を解決するためには、創造然の人間の価値が、いかなるものであるかを知らなければならないので、この問題について先に論じたのち、上記の諸問題を扱うことにしよう。 第一節 創造目的を完成した人間の価値 創造目的を完成した人間、すなわち、

  • 第六章 再臨論

    第一節 み旨に対する予定 第二節 み旨成就に対する予定 第三節 人間に対する予定 第四節 予定説の根拠となる聖句の解明 古今を通じて、予定説に対する神学的論争は、信徒たちの信仰生活の実践において、少なからぬ混乱を引き起こしてきたことは事実である。それでは、どうしてこのような結果をもたらしたのかということを、我々は知らなければならない。 聖書には、人生の栄枯盛衰や、幸不幸はもちろん、堕落人間の救いの在り方から、国家の興亡盛衰に至るまで、すべてが神の予定によってなされると解釈できる聖句が多くある。この例を挙げれば、ロマ書八章29節以下に、「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには

  • 第五章 復活論

    第一節 復 活 第二節 復活摂理 第三節 再臨復活による宗教統一 聖書の預言を、文字どおりそのまま受け入れるとすれば、イエスが再臨されるときには、既に土の中に葬られて、元素化されてしまったすべての信徒たちの肉身が、再び元どおりの姿によみがえって、出てくるものと見なければならない(テサロニケ・四・16、マタイ二七・52)。これは、神が下さったみ言であるから、我々の信仰的な立場においては、そのまま受け入れなければならない。しかし、これは現代人の理性では到底納得できない事実である。そのため結局我々の信仰生活に大きな混乱をきたすようになる。したがって、この問題の真の内容を解明するということは、極めて重要なことであるといわなければならない。 第一節 復 活 (一)死と生に対する聖書的概念 (二)堕落による死 (三)復活の意義 (四)復活は人間にいかなる変化を起こすか 復活というのは

  • 第四章 メシヤの降臨とその再臨の目的

    第一節 十字架による救いの摂理 第二節 エリヤの再臨と洗礼ヨハネ メシヤという言葉は、ヘブライ語で油を注がれた人を意味するが、特に王を意味する言葉である。イスラエル選民は彼らの預言者たちの預言によって、将来イスラエルを救う救世主を、王として降臨させるという神のみ言を信じていた。これがすなわち、イスラエルのメシヤ思想である。このようなメシヤとして来られた方が、まさしくイエス・キリストであるが、このキリストという言葉は、メシヤと同じ意味のギリシャ語であって、普通、救世主という訳語が当てられている。 メシヤは神の救いの摂理の目的を完成するために、降臨なさらなければならない。このように、人間に対して救いが必要となったのは、人間が堕落したからである。ゆえに、救いに関する問題を解決するためには、まず堕落に関する問題を知らなければならない。堕落はすなわち、神の創造目的を完成できなかったことを意味す

  • 第三章 人類歴史の終末論

    第一節 神の創造目的完成と人間の堕落 第二節 救いの摂理 第三節 終末 第四節 終末と現世 第五節 終末と新しいみ言と我々の姿勢 我々は、人類歴史がいかにして始まり、また、これがどこへ向かって流れているかということを、これまで知らずに生きてきた。したがって人類歴史の終末に関する問題を知らずにいるのである。多くのキリスト教信者たちは、ただ聖書に記録されていることを文字どおりに受けとって、歴史の終末においては天と地がみな火に焼かれて消滅し(ペテロ・三・12)、日と月が光を失い、星が天から落ち(マタイ二四・29)、天使長のラッパの音とともに死人たちがよみがえり、生き残った人たちはみな雲に包まれて引きあげられ、空中においてイエスを迎えるだろう(テサロニケ・四・16、17)と信じている。しかし、事実、聖書の文字どおりになるのであろうか、それとも聖書の多くの重要な部分がそうであるように、この

  • 第二章 堕落論

    第一節 罪の根 第二節 堕落の動機と経路 第三節 愛の力と原理の力および信仰のための戒め 第四節 人間堕落の結果 第五節 自由と堕落 第六節 神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由 人間はだれでも悪を退け、善に従おうとする心の指向性をもっている。しかし、すべての人間は自分も知らずにある悪の力に駆られ、心が願うところの善を捨てて、願わざる悪を行うようになるのである。このような悪の勢力の中で、人類の罪悪史は綿々と続いてきた。キリスト教ではこの悪の勢力の主体をサタンと呼ぶのである。そして、人間がこのサタンの勢力を清算できないのは、サタンが何であり、またそれがどうしてサタンとなったかという、その正体を知らないからである。それゆえに、人間がこの悪を根こそぎ取り除き、人類の罪悪史を清算して、善の歴史を成就するためには、まず、サタンがサタンとなったその動機と経路、およびその結果を

  • 第一章 創造原理

    第一節 神の二性性相と被造世界 第二節 万有原力と授受作用および四位基台 第三節 創造目的 第四節 創造然の価値 第五節 被造世界の創造過程とその成長期間 第六節 人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界 人間は長い歴史の期間にわたって、人生と宇宙に関する根問題を解決するために苦悶してきた。けれども、今日に至るまで、この問題に対して納得のいく解答を我々に与えてくれた人はまだ一人もいない。それは来、人間や宇宙がいかに創造されたかという究極の原理を知らなかったからである。さらに、我々にはもっと根的な先決問題が残っている。それは、結果的な存在に関することではなく、原因的な存在に関する問題である。ゆえに、人生と宇宙に関する問題は、結局それを創造し給うた神が、いかなるお方かということを知らない限り解くことができないのである。創造原理はこのような根的な問題を、広範囲にわたって扱

  • 6 カナン定着のための七年路程の再出発

    (1) 40年前の摂理に帰る 荒野40年路程が終結することにより、カナン定着時代が到来した。すなわち、40年前の1945年の立場に帰ることができたのである。したがって、1945年から1952年までの7年間で実体的カナン復帰の道を開こうとした摂理を、1985年から1992年までの期間で蕩(とう)減(げん)復帰する時代を迎えたのである。 (2) 世界平準化のモデル 今、世界は国家を単位とした世界になっているが、これだけ国際関係が緊密になった時代においては、むしろ国境が障害となっていることが多い。そのためにヨーロッパはEC統合に向かって歩んでいる。 この動きはやがて世界全体に及んでいく。中南米においてもラテンアメリカ統一連合(AULA)が、ラテンアメリカ諸国の協調と統合の促進を目ざして活動している。 アメリカ合衆国はすでにその形ができている。そのような動きの中で一番遅れているのがアジアで

  • 5 子女の時代の出発と荒野路程の終結

    (1) 子女の時代の出発 神の祝福が一世を中心になされてきたが、子女の時代に入り、文先生ご夫の子女様をはじめとして、祝福家庭の子女たち、すなわち二世の祝福がなされていった。1981年5月に文誉進(ムンイエジン)様・洪珍輝(ホンチンフイ)様、1982年1月に文孝進(ムンヒョウジン)様・洪蘭淑(ホンナンスク)様、1984年2月に文仁進(ムンインジン)様・朴珍成(パクチンソン)様と文興進(ムンフンジン)様・朴薫淑(パクフンスク)様の祝福がなされた。 さらには、地上天国建設のために、文先生は1980年まで宗教的精神的伝統基盤を確立された土台の上で、その精神に基づく横的物質的伝統基盤造成のための摂理を展開されていかれた。1981年11月に、第10回科学の統一に関する国際会議の中で、国際ハイウェイ建設の構想を提唱された。 それは日韓国をトンネルで結び、中国からアジア、ヨーロッパ、アフリカへ、

  • 4 世界的勝利基盤造成の摂理

    (1) 第三次七年路程の前三年 第三次七年路程は、1975年、76年、77年の前三年と78年、79年、80年の後の三年に分けられる。その前三年においては、韓国にあって、イスラエルが失ったすべてを蕩(とう)減(げん)復帰した国家基盤を世界的キリスト教圏の中心であるアメリカで完成させ、世界的な霊的基盤を造らねばならない。 そしてその上で後の三年で、世界的問題を完全に蕩減して、世界的な肉的基盤を造っていくのである。このことにより、2000年前、イエス様とイスラエル国家が一つとなり、さらにローマと一つとなって世界的基盤を造っていかなければならなかったことを蕩減復帰していくのである。 第二次七年路程の終結はヨイド大会であったが、第三次7年路程の摂理は1975年の1月からスタートしていた。それで先生は世界の中心国家であるアメリカを中心として摂理を進めていかれたが、それ以外の世界の国々へ日人とア

  • 3 国家的勝利基盤造成の摂理

    (1) 日への伝統と使命の相続 世界にアダム国家としての国家的基盤が築かれるには、民族的基盤が必要であり、かつアジア的基盤が必要であった。そのために第二次七年路程を出発する前に、エバ国家として選ばれた日に伝統と使命を相続する摂理がなされた。 文先生一行が聖地決定のために1965年に二度来日されたが、1967年6月にも来日され、8月まで約2か月間滞在された。その間、文先生ご夫を中心として韓国において築かれてきた信仰の伝統の相続がなされた。特に日の責任者クラスの百数十名を集めて原理大修練会が開催された。 そこで劉孝元協会長による講義と文先生のみ言が語られ、み言の伝統の相続がなされた。 また、幹部の先生たちによる信仰指導がなされた。さらには、今後、日統一教会が世界人類救済のために、神の国実現に向かって果 たしていくべき多くの使命を与えられ、1968年からの第二次七年路程に向けて

  • 2 家庭的勝利基盤造成の摂理

    (1) 文先生ご夫の聖婚 地上天国実現のための家庭的摂理が出発するには、アダムの失敗を蕩(とう)減(げん)復帰する神と一体となった男性と共に、堕落したエバの失敗を蕩減復帰する神と一体となった女性が必要であり、神が共にあることのできる真の父母がこの地上に確立されなければならなかった。 そのために、1960年3月27日(陰暦3月1日)に「父母の日」が宣布され、4月11日(陰暦3月16日)には文鮮明先生と韓鶴子夫人の聖婚式が挙行された。 (2) 韓 鶴子 (ハンハクジャ)夫人 (1) 誕生 韓鶴子夫人は1943年、洪 順愛(ホンスネ)ハルモニが30歳のとき、文先生と同じ陰暦の1月6日の午前4時半、平安南道の安州の信里という村で誕生された。 洪家の家系は三代続けて娘一人の家系であった。洪ハルモニは熱心なキリスト教徒の母のもとで育ち、いつも「もっと高い教会はないか」と捜していたが、聖主教団の

  • 1 蕩減路程

    (1) 牢獄からの出発 文先生は統一教会の創始者であるため、治安当局による苛酷な尋問を受けた。弟子の一人が、ある部屋の扉を誤って開けたとき、そこで文先生が殴られ、蹴られ、血まみれになっている姿を目撃し、全身の血が逆流する思いだったと証ししている。 7月13日になると、ソウル地方検察庁に送られた。そこには多くの反対するキリスト教関係者や大学関係者やマス・コミ陣が集まっていた。そこに手錠をはめられた文先生と幹部たちが引かれていった。 しかし、ここでもマス・コミで騒がれたような事実関係が判明しないため、未決ということで、西大門刑務所に拘留されることになった。 そのとき、教会から去ったかつての弟子の一人が先生にかけ寄ってきて、侮辱にみちた嘲笑を浮かべながら言った。「あんたはまだそんな馬鹿なことをやっているのか。俺のように早く卒業することだ」と。 先生は一言も語らず黙然として彼の前を引かれ

  • 2 第二次蕩減路程

    (1) さらなる蕩減(とうげん)路程の出発 韓国軍および国連軍は鴨緑江の近くまで北進していったが、中共軍の介入もあって後退せざるをえなくなった。そして12月2日には、全平壌市に後退命令が出された。先生の故郷にはご家族たちがおられたが、先生はその人々以上に行方がわからない弟子を必死に捜し続けておられた。 それは再出発の基台となる人々を復帰し、人類の救いの道を開いてからでなければ、ご自分が愛する人々を救うことができない原理があったからである。 獄中で弟子となった朴正華氏は8月に出監していたが、国連軍のもとにあった治安隊により取り調べられ、「大隊長までやったお前は共産党だ」として足首を角材でたたかれ、骨が折れてしまい、家にとり残されていた。 先生一行は彼を発見し、自転車にまたがせて、12月4日に南下の途についた。避難民としては最後の群の中の人々であった。 ここから始まった南下の路程は、再

  • 1 第一次蕩減路程

    (1)蕩減路程としての荒野路程の出発 モーセ路程において、モーセとイスラエル民族が一体化すれば、21日でカナン復帰が成せるはずであった。しかし、イスラエル民族の不信ゆえに、21か月、あるいは40年という蕩減路程の荒野路程が必要となった。そのことが現代における摂理においても繰り返されることとなった。 1945年から1952年までの7年間の実体的カナン復帰の道が準備されていたが、キリスト教と民主世界の失敗ゆえに現代の荒野路程が出発したのである。彼らの失敗は人類を代表した立場での失敗であるために、人類と世界は完全にサタンが主管するところとなった。 神が共にあることができなくなったキリスト教は、霊的力と指導力を失い、分裂・形式化が進み、共産主義に利用されるところまで進んでいった。また、世界の共産化が進み、民主世界陣営の中のあらゆる分野へ共産勢力が入り込んでいくこととなった。 ここで第一次摂理

  • 2 実際の摂理の展開

    (1)金百文の反対 文先生は、神が韓国にどのような教団を準備されたのかを調査され、神霊集団の中でも金百文という人物が新約時代の男性側の立場で、最もアベル的立場にあることを知られた。 それでキリスト教が先生と一体化して出発するためには、2000年前にイエス様が洗礼ヨハネから祝福されたように、文先生もそのような祝福を受けなければならなかった。 文先生と金百文が一体化すれば、旧約時代・新約時代・成約時代の道がすべて連結され、今までの縦的な歴史的失敗を横的に完全に蕩減復帰する勝利の基盤が造成された立場に立つのであった。 そこで1945年10月、文先生は金百文のいるイスラエル修道院のもとに入っていかれた。そしてソウルの上道洞礼拝所の補助引導師をしたりしながら、40人ぐらいいる中で、朝早くから、誰よりも熱心に働き、奉仕していかれた。すると、1945年12月25日、霊界がある人を通 して文先生に

  • 1 神が準備された摂理

    (1) 韓国に準備されたキリスト教の基盤 2000年前にイスラエル民族がイエス様を生きてメシヤとして受け入れることができなかったため、キリスト教信徒が第二のイスラエル選民となり、その摂理の中心地はイスラエルから、ローマ、イギリス、アメリカへと移動し、そのアメリカの宣教師が韓国の地にキリスト教を定着化させていった。 したがって韓国のキリスト教の立場は、イエス様以後2000年にわたって再臨主を待ち臨んできたキリスト教徒を代表してメシヤを受け入れるべき立場であり、今日世界に拡がっているキリスト教徒を代表してメシヤを受け入れるべき立場にあった。 2000年前、イエス様が降臨される時代において、イスラエルがローマの属国となっていたが、神は必ずメシヤを遣わして自分たちを救って下さると信じていた。そのように、今日においても、終わりの日には、韓国は日の支配から解放され、再臨主が遣わされるという霊界か