格差に関するueharajiroのブックマーク (4)

  • <07>「感動ポルノの題材にされるのは、いい気はしない」 今求められる“安易な共感”の無効化 (永井陽右×ロバート・キャンベル) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

    「私自身、“感動ポルノ”の題材にされ、消費されるのは全くいい気がしません」 日で30年以上暮らす日文学研究者ロバート・キャンベルさんの言葉です。「感動ポルノ」とは、身体障害者が物事に取り組み奮闘する姿が健常者に感動をもたらすコンテンツとして消費されていることを批判的にとらえた言葉。今や「共感」「感動」を呼ぶストーリーで社会的弱者を受け止めようとする風潮は様々な方面に広がり、珍しいものではなくなっています。 かねて共感への強い問題意識を持つキャンベルさんは、昨年、ブログで自身がゲイであることと同性パートナーと結婚したことを公表し、ハフポスト日版のネット番組でLGBTに対する共感のあり方についても持論を展開しました。 「共感」が生み出す分断や格差、偏見などの問題とどう向き合うべきか――。紛争解決活動家・永井陽右さんが識者と語り合うシリーズの第二弾は、ロバート・キャンベルさんとの対談です。

    <07>「感動ポルノの題材にされるのは、いい気はしない」 今求められる“安易な共感”の無効化 (永井陽右×ロバート・キャンベル) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
  • <06>街中でホームレスを見過ごす行為をどう考えるべきか? 自由と理性のあり方について(永井陽右×御子柴善之) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

    人々が「共感」を判断基準に行動することの問題点を考えてきた連載。今回から筆者・永井陽右さんが、自身の問題意識を専門家と語り合う対談篇に移ります。 初回の対談相手は、カント哲学を中心としたドイツ近現代哲学の研究者である御子柴善之さん。永井さんの大学時代の恩師です。 「善意」「尊厳」「人権」などのキーワードから社会問題を考察してきた御子柴さんは、永井さんの「共感ではなく理性を基準に物事を判断すべき」との主張にどう答えるのでしょうか。 人間は頭で理解しても心がついていかないと行動できない 永井 これまでこの連載では、共感を軸に人々が行動を選択することで、救われる人と救われない人が出てきてしまうことへの問題意識から、「共感」に頼りすぎてしまうことへの疑問について考察してきました。誰にでも共通の人権があり、「この人には共感できないな」と思う相手にもそれを認めて救いの手を差し出す考えを持つべきではな

    <06>街中でホームレスを見過ごす行為をどう考えるべきか? 自由と理性のあり方について(永井陽右×御子柴善之) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
    ueharajiro
    ueharajiro 2019/03/28
    自然法をどれだけ実定法に反映させることができるか、という命題があると同時に、やはり実定法は国境を越えることができないということがここで問題に挙がる。しかし、情報化社会が一つの鍵であることは間違いない。
  • 「貧困は怠慢だ」と言っている人が知らない「見えざる弱者」の実情 | 文春オンライン

    関係性が希薄で、十数年も共に暮らした「家族」なのに人見知りをしてほとんど話せない。家族で卓を囲む習慣がなく、机もない部屋で、事を床に置いて一人でべる子どもがいる。すべて私の体験です。外では「両親がそろっていて、平和な家庭で育った“普通の子ども”」に見える人が、実はこんな環境で暮らしていると想像したことがあるでしょうか。 母は布団から出てこずに「死にたい」と泣いている 父は私の誕生日も知らない。祝ってもらったこともない。休日、父は朝から酒を飲んで寝るだけで、母は布団から出てこずに「死にたい」と泣いている。兄はイライラすると私や母を殴り、蹴りつけ、金をせびり、金が底をつくと「体を売って稼いでこい」と罵声を浴びせる。父はそんな私たちを気にかけることもなく、唯一怒鳴り声をあげるのは、見ているテレビの音が兄の大声のせいで聞こえないときだけ。おまけに父も兄も仕事を頻繁に辞めてしまうにも関わらず浪

    「貧困は怠慢だ」と言っている人が知らない「見えざる弱者」の実情 | 文春オンライン
  • <05>「共感する自由/共感しない自由」が生み出す残酷さ――格差拡大を防ぐ“自由の制限”は必要か? | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

    テロ・紛争解決活動家の永井陽右さんが「共感」の問題点を考察する当連載。第5回のテーマは、「自由」です。私たちは社会で困難をきわめる人たちに共感して手をさしのべる自由も、そうしない自由も持ち、その選択が格差を生み出す一因となっています。 そうした問題を生まないためには、共感の有無にかかわらず、誰に対しても基的人権を認める理性的な姿勢が大切である――。そう説いてきた永井さんは、今回、権利として認められている「自由」と人としての「理性」との兼ね合いをどう考えるべきか、問いを投げかけます。 【あわせて読みたい】 つながりが生み出す分断、ネガティブな価値観で強まる結束……「共感」が生み出す攻撃の背景 加速する“共感の奪い合い” 国際協力の場で広報のプロが重宝されるワケ 見過ごされる“共感されにくい人たち” どう救うべきか? 「基的人権」の尊重は世界共通の規範 先日、『矛盾社会序説:その「自由」が

    <05>「共感する自由/共感しない自由」が生み出す残酷さ――格差拡大を防ぐ“自由の制限”は必要か? | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
    ueharajiro
    ueharajiro 2019/03/04
    本来「社会」は世界全体を指すべきと思うが、人権・自由を保証するのも、制限するのもその主体は国家である故、地球市民という言葉は理想郷にある。しかし国家もまた想像上の共同体であるならば何か糸口はあるはずだ
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