歴史に「もしも」があったら? 歴史にもしもはない、という。もしも武田信玄が病気で死ななかったら……もしも平泉で藤原泰衡(ふじわらの・やすひら)の軍勢に囲まれたとき、源義経が脱出していたら……そんなことは、考えても仕方のないことだ。 でも、私たちは、ついそんなことを想像してしまう。もしも歴史が違う方向に進んでいたら、と夢見ることを、私たちはやめることができない。そして、それは……私たちだけでなく、他の知的生命体でも同じかもしれないのだ。 スウェーデン人の哲学者であり、オックスフォード大学の教授であるニック・ボストロム(1973~)は、「シミュレーション仮説」を提唱した。この仮説は、私たちが生きている世界というものが、知的生命体が行っているコンピューター・シミュレーションである可能性を指摘したものである。 私たち人類だって、どんどん文明が発達していけば、地球全体(ひょっとしたら宇宙全体)のシミ
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