ブックマーク / tokyocat.hatenadiary.jp (3)

  • 羊をめぐる冒険/村上春樹(2) - 東京永久観光

    「羊」が何を意味するか。ジンギス汗の名が呼びだされもしているが、モンゴル的な征服権力意志を象徴していると、一応いっていいだろう。(川村二郎「文藝時評」『文藝』1982・9) 「羊」とはいったい何なのか。おそらく村上春樹はそれは結局は何かのメタファーではなくメタファーのためのメタファーだといいたいに違いない。事実、その通りだろう。/だがそれを承知で私としては最後に敢えてこの「羊」の正体を解釈してみたい。村上春樹がこだわりつづけた「羊」とは実は、あの一九六〇年代末期から七〇年代初頭にかけて当時の若い世代をより非現実の彼岸へと押しやった「革命思想」「自己否定」という「観念」ではないだろうか。(川三郎「村上春樹をめぐる解釈」『文学界』1982・10) 羊の世界は「他者性」の象徴である。(井口時男「伝達という出来事」『群像』1983・10) 著者が世代的に少しずつずれている三人の男のなかを〈羊〉に

    羊をめぐる冒険/村上春樹(2) - 東京永久観光
    ueshin
    ueshin 2011/11/05
    羊の解釈。モンゴル的征服意識や近代の輸入、などが考えられますね。
  • 逆行というか - 東京永久観光

    ピンチョンの『逆光』をまだ読んでいる(読んでいないというか) 章ごとに主要人物が入れ替わるので、そのつど「この人だれだっけ、あそうか爆弾ゲリラの人だ」とか「え〜と錬金術師で写真師の人かな」とか、いちいち思い出すのが大変。しかも、人物が久々に登場するだけでなく、を閉じてから次に開くまでの私のブランクがそもそも長く、すっかり忘れはてている。 だから、新しい章に取りかかるとすぐ、その人物の確認のために以前の章を読み返さなければならない。ところが、読み返した章でもまた別の人物が何者だったかわからなくなっていて、さらに以前の章まで遡らなければならない。ところがそうするとまた……。 いや違う、最大の問題は、どのページをとっても読みながら把握しなければならない人物のプロフィールや出来事の成り立ちが、はてしなく複雑だということに尽きる。再読のはずが初読と同じ深みにはまってしまうのだ。 同書を原書を読んだ

    逆行というか - 東京永久観光
    ueshin
    ueshin 2011/01/28
    ピンチョンは登場人物がだれがだれかわからなくなりますね。
  • 世紀の罵倒 - 東京永久観光

    柄谷行人が文芸誌のある対談で作家の中野孝次を激しく罵ったことがある。昔(1985年)のことだが、ネットでは今も伝説っぽく語られる。私は当時図書館でたまたまそれを読んでおり、あまりのひどさにぎょっとした覚えがある。 あれはいったい何だったんだろう。ずっと気がかりだったのだが、その対談を収録している書物を25年ぶりに読んでみた。 ★中上健次 未収録 対論集成/高澤秀次編  asin:4861820626 実際どう罵っているか。ハイライト(というか最も黒い部分というか)はここだろう。 柄谷 何にもわかってない、おまえは。黙ってろ。おまえなんか文学者じゃないよ。賛美しようと、否定しようと、責任を感じようと、感じまいと、一つの強制的な、不可避的な過程があるんだ。それを認めることが、いわば戦後文学派の認識なんだ。あんたは何にもわかってない。 中野 何言ってやがんだ、バカ野郎。もっとわかる言葉で話せ。口

    世紀の罵倒 - 東京永久観光
    ueshin
    ueshin 2010/12/22
    柄谷行人と中野孝次の罵倒があったなんて。85年のことだが。
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