大学院を出て、1984年に日本DEC研究開発センターに入りました。ここは米国DEC(その後コンパックにより買収、現在はHP社)開発部門の100%子会社で、入社早々日本語COBOLの開発を担当しました。コンパイラには手を加えず、独自拡張などもせず、私を含めた3人で仕様どおりに実装を続けました。エディタでプログラムを修正し、コンパイルし、ビルドして、バグを取る、といったことの繰り返しです。入社前はもっとカッコイイ研究ができると思ったら勘違いで、結局は数百ページあるCOBOL仕様書を何度も何度も読みました(笑)。 当時はCOBOLもFORTRANもLispでさえも、プログラミング言語は「会議室」でつくるものでした。まつもとゆきひろさんのRubyのような「俺さま言語」などは考えつきもしなかったし、やろうとする発想すらありませんでした。ただ、この時期にプログラミング言語のイロハを覚えたことは、後々の