ドイツ語で「日本語で質問してもいいですか? それともドイツ語のままで?」と尋ねてみたら、広報にちらっと視線を送られた長谷部はすぐに「ドイツ語でいきましょう」ときっぱり言い切った。
![「ドイツ語でいきましょう」長谷部誠は日本人記者にドイツ語の質問を求めた…現地記者が見た“電撃引退会見”「最後にあと一言いいですか」(中野吉之伴)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/18467d3cf9c346264c9bacea3b9668b80de3d9ec/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnumber.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F8%2Fd%2F-%2Fimg_8d36bc522e3f366ebaedfc5a3ebf6934147210.jpg)
2023年10月4日から放送が始まった、TVアニメ『ウマ娘 プリティーダービー Season 3』。クロスメディアコンテンツ『ウマ娘 プリティーダービー』(以下、『ウマ娘』)の柱のひとつであり、2018年4月期、2021年1月期に続く第3期となる。 新旧さまざまな名馬たちをモチーフにした“ウマ娘”たちの物語を描く『ウマ娘』。ゲームが爆発的にヒットし、リアル競馬とのコラボレーションにも積極的で、地方競馬や馬産地の活性化、引退馬の保護にもひと役買うなど、いまや競馬界にとっても大切な存在となっている。 その魅力は、競馬を知らなくても親しみやすい魅力的なストーリーや設定と、史実要素を徹底的に落とし込んだ“史実へのこだわり”にある。今回は、第1話における注目ポイントの数々をピックアップして紹介していく。 ※ネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。
スーパーバンタム級最強と目されたフルトンに8回TKOで勝利をおさめた井上尚弥。衝撃の完勝劇の裏にはどんな駆け引きがあったのか? 井上尚弥vs.フルトンの”勝負を分けたポイント”を元WBA世界スーパーフライ級王者の飯田覚士氏が2回にわたって徹底解説! 第1回は、試合の趨勢を決めた序盤の攻防についてーー。<全2回の#1/#2へ> 井上尚弥の何が凄かったのか… 「相手が強くなきゃ実力以上のもんは出ない」 永遠のバスケット漫画「スラムダンク」で桜木花道の試合を見守る親友・水戸洋平が語った言葉がふと思い出された。元WBA世界スーパーフライ級王者、飯田覚士氏の「解説」を聞き終わった後のことだ。 確かに井上尚弥は強かった。そしてまたわざわざ敵地まで乗り込んだスーパーバンタム級2団体世界王者スティーブン・フルトンもさすがだった。
スーパーバンタム級最強と目されたフルトンに8回TKOで勝利をおさめた井上尚弥。衝撃の完勝劇の裏にはどんな駆け引きがあったのか? 井上尚弥vs.フルトンの”勝負を分けたポイント”を元WBA世界スーパーフライ級王者の飯田覚士氏が2回にわたって徹底解説! 第2回は、フルトンの”奇策”を超えた井上の対応力について――。<全2回の#2/#1へ> フルトンが井上に対して取った”奇策” 井上尚弥が井上尚弥なら、フルトンもまたフルトン。 挑戦者の“誘い水作戦”に唸った一方で、スーパーバンタム級の猛者に競り勝ってきた2団体世界王者が取ってきた“奇策”も世界のボクシングを長年見てきた飯田覚士を驚かせていた。 「フルトン選手がどうしたかっていうと、これまでの試合と比べて足のスタンスを明らかに広げてきた。その前足で尚弥選手の踏み込みを邪魔して、懐の深さをつくっていたんです。だから同じオーソドックス(右構え)なのに
プロ野球選手としての時間が終わり、バイト漬けの生活だった奥村が、資格取得を考え始めたのは25歳の頃だった。キッカケはひょんなことで知り合いから「視野を広げなさい」と助言を受けたこと。本屋で見つけたガイドブックを広げると、公認会計士という仕事を知った。仕事内容を詳しく読み込むと、高校時代に勉強した簿記学習の記憶が蘇ってきた。 「公認会計士なら自分のやってきたことが活かせるのではないか」 もともと数字への苦手意識は少なかった。この日からアルバイトを続けながら、少しずつ机に向かう時間を増やしていくことになる。それでも、ほとんど野球しかしてこなかった日々の習慣の反動もあり、本格的に勉強に打ち込むようになるまでは1年の時間を要した。 「野球しかやってこなかったわけですから、机に何時間も座るだけで苦痛なんですよ。それで気分転換という名目で、飲みに行っちゃうという(笑)。当然生活も苦しいですし、何度諦め
地中海の国にある野球の世界は驚きに満ちていた。 セリエBといえば聞こえはいいが、もちろんプロじゃない。トップチームの仲間たちは当時30歳になったばかりの僕とほぼ同年代で皆、本業を持っていた。 主将で遊撃手のアントニオは印刷屋。アメリカかぶれなので「俺のことは“トニー”と呼べ」と全員に命じていた。控え捕手のフランチェスコは薬剤師で、いつも練習帰りに「乗ってくか」とベスパの後ろに乗っけてくれたナイスガイだ。もう一人いる別のフランチェスコは無職の主戦投手で、本人曰く「俺のストレートは最高速130キロ」だが、スピードガンがクラブにないので信憑性がなかった。ついでにスタミナもなかった。 練習は週3度で、週末に試合というルーティン。移動は分乗。決まった集合時間はなく、各自が仕事の都合に合わせて可能な時刻に三々五々集まった。スーパー店員、運送屋、PCサービス等など、それぞれの職業はバラバラだったが、野球
日本一過酷と言われる山岳レース「トランス・ジャパンアルプス・レース(TJAR)」。富山県魚津の日本海から日本アルプスを縦断し、静岡市大浜海岸の太平洋に至る約415km(累積標高差約27,000m)の距離を、制限時間8日間で駆け抜けるエクストリームなレースだ。 今年の夏、そのTJARで「4日17時間33分」という大会新記録で初優勝したのが土井陵(たかし)だ。剱岳や薬師岳を縦走する北アルプスを1日で越え、中央アルプスも1日で通過、多くの選手が歩きを織り交ぜるロード区間もほとんど走っていた。しばらくは更新されないと考えられていた「4日23時間52分」(望月将悟/2016年)という大会記録を6時間も縮めたのだ。 その背景には、走力や山の経験値といったベースに加え、綿密な食料計画や睡眠の取り方があるようだった。自らを「ミニマリスト」と語る土井のスタート時の装備は水分を除いてわずか3.5kg。他の選手
将棋界に真剣師と呼ばれるものたちがいた。賭け将棋で小遣いや生活費を稼いだアマチュアのことで、一部はセミプロのレベルまで達していたという。筆者が将棋を始めたのは2001年だが、実際には見たことがない。どうやら昭和50年代までは全国各地にいたものの、時代が進むにつれて風当たりが強くなり、数は減っていったようだ。筆者はその世界を文献を辿るよりほかに知る方法がない。 「最後の真剣師」と呼ばれた大田学(1914~2007年)は、1978年に第1回朝日アマ名人戦に出場して63歳ながら見事に優勝した。終戦後に30歳を過ぎてから、アマ初段だった将棋に本格的に取り組んだという。小中学生で奨励会に入るのが当たり前の現代を思うと、かなりの晩学だ。同氏は1996年に放映開始されたNHK朝ドラ「ふたりっ子」のヒロイン・香子に将棋を教える、「銀じい」のモデルになったことでも知られた。真剣師を廃業してから92歳でこの世
ところが、昨年12月になってイチローが突然「日が迫ってるからしっかりやれ」と言い出した。打撃投手やノッカーを務めるのは、本気モードのイチロー自身だ。 高田たちが練習場で歩いていただけで、「ダッシュだ!」とどやされる。イチローがノックする打球を下がって捕ったら「前へ出ろ、前へ!」。打球を身体で止めると「そうそう、それだ!」。時には「野球をナメるな!」と厳しい活も入れられる。 「もう、怖い、怖い。イチローに散々しごかれたおかげで足がパンパン。当日は強力なロキソニン飲んで試合に出ました」 投手イチローとバッテリーを組んだ捕手が覚えている練習 イチローは現役時代、人一倍練習で汗を流し、自らを限界まで追い込んでいた。草野球でも妥協を許さぬ姿勢は変わらない。高校時代、投手のイチローとバッテリーを組んだ同級生の捕手・畑憲作が言う。 「僕らの高校時代、1980~'90年代の“名電野球”です。昔は毎日そうい
「むしろ……藤井聡太さんは全然、人間ぽくないですけどね。正直」 異色の将棋本としてベストセラーとなっている『現代将棋を読み解く7つの理論』。その著者・あらきっぺは、経歴も異色だ。 本名は荒木隆。元奨励会三段。年齢制限で奨励会を退会となってからは、現代将棋に関するブログを執筆しつつ、アマ大会で活躍。 2019年には、アマチュアとして出場した朝日杯で、今期叡王戦で挑戦者となった出口若武六段にも勝利している。 さらに将棋ソフト『水匠』と100日間対局を続けるという荒行を敢行し、その直後に出場した将棋ソフトの大会では、生身の人間であるにもかかわらず不利な後手番でソフトを相手に引き分けに持ち込むなど、現代において最も将棋ソフトの棋風に詳しい人間の一人といえる。 インタビューの第2弾では、そんなあらきっぺの口から飛び出した「藤井聡太の将棋には人間ぽさが無い」という言葉の意味を、徹底的に掘り下げる。(全
『現代将棋を読み解く7つの理論』という本をご存知だろうか? AIの影響を受けて激変した現代の将棋を見事に解き明かした本であり、一介のアマチュアが書いたにもかかわらず異例のベストセラーになっている。 将棋界からの評価も極めて高く、将棋ペンクラブ大賞の技術部門で大賞を受賞した。 著者の名は『あらきっぺ』。 本名は荒木隆。 5歳で将棋をおぼえ、関西の名門・森信雄門下として奨励会に入る。そして三段まで上り詰めたものの、年齢制限で退会。最後の三段リーグで対局した相手の中には藤井聡太竜王もいる。 奨励会を退会してからはアマチュアとして再び将棋を指し始め、全国大会の常連となり、招待選手として出場した朝日杯でプロ2名を破るなど、現在も高い棋力を有する人物だ。ここまでならば、悲劇的ではあるものの、将棋界ではありきたりなストーリーともいえる。 荒木が異色なのは、その将棋との向き合い方だ。 『7つの理論』の大ヒ
2人が平野の演技の最中、どのように叫んでいたのか。まず解説者が話し始める。 「信じてベストを尽くせば、あとは点数を審判に任せていればいいんです」 そして5回の試技をノンストップでこう叫び続けた。 「トリプルコーク1440!」 「ダブルコーク1440! いいですよ!」 「次は1260!」 「もう一度1260! バックサイド・ダブルコーク!」 難易度の高いミスなしの技に魅了される解説者。視聴者には耳障りに聞こえるかもしれない叫びだが、そんなこともお構いなしだ。 「マジマッ!(最後) マジマッ!(最後) フォーティーーーーーン・フォーティーーーーーーーーーーーーーーーー!」 すると、この解説者は今度は冷静に、平野の技を的確に賞賛した。 「トリプルコークというのは、対角線に3回転し、横回転も加えます。“1440”を飛ぶアユム選手ですが、過去には膝が腹部を強打して肝臓を傷めて、本当に危険な状態で病院
「いや、お金の問題じゃないんです。これは名誉なことですから」 2021年7月某日11時。山形と東京、そしてロサンゼルスをつないで行われた最初のオンライン・ミーティングで、予想外の言葉が発せられると、J2モンテディオ山形の鳥飼健司事業アドバイザーは思わず目を潤ませた。 現在のチーム名となって25年を機に、長年愛用したエンブレムの変更を検討してきた山形は、12月10日に地元出身の世界的デザイナー、奥山清行氏が手掛けた新デザインの発表を行った。 就任して3年の相田健太郎社長が「時代の変化に合わせ、モノとして使いやすくする必要がある」と考えてきたエンブレム。冒頭の言葉で動き出した“夢”のプロジェクトが形となった。 予算規模の格差は100分の1以上? 奥山清行/ケン・オクヤマと言えば、あのフェラーリをイタリア人以外で初めてデザインしたことで知られる人物だ。創業者の名を冠した記念モデルである『エンツォ
俳優の田村正和さんが心不全のため東京都内の自宅で亡くなっていたことが分かった。77歳だった。代表作にして大ヒットドラマとなった『古畑任三郎』には、当時現役のメジャーリーガーだったイチローも出演していた。脚本家・三谷幸喜が“イチロー出演の裏側”を明かした記事を特別に公開する。 球界のスターが出演した『古畑任三郎』は高視聴率を記録した。数々の名ドラマや映画を手掛けてきた人気脚本家は、“俳優・イチロー”とどう向き合い、どこに凄さを感じたのか。そして今も残る“悔い”とは――。 【初出:Sports Graphic Number836号(2013年9月5日発売)/肩書などはすべて当時】 27パーセント(『古畑任三郎』イチロー出演回の視聴率)? へーっ。そんなに取ってたんですね。僕は数字に影響を受けるタイプではないので、当時も「よかったですね」くらいの感じだったと思います。たとえば自分の中でわりとうま
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