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コミュニケーションに関するukeyeのブックマーク (8)

  • テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人はどこへ行ったの? - シロクマの屑籠

    「どこの業種に行っても優秀なやつばかり見かける。コンビニ然り、公務員然り。昭和の頃より皆テキパキ動いていて、愛想も良くて、意外と応用も利いている」 時々、これが恐ろしいことのように思えることがある。じゃあ、テキパキしてない奴、愛想の悪い奴は一体どこへ行ったのか? 2014-11-08 22:28:08 via Twitter Web Client この、何気ない疑問がたくさんリツイートされて、followersが200人ぐらい増えてびっくりした。反応も様々で、こちらには色々なコメントがぶら下がっている。 いやしかし、当に不思議だ。 コンビニやホームセンターの店員だけじゃない。市役所の窓口の人も、福祉課の皆さんも、たいしたものだ。職業柄、若い警察官の方と話す機会も多いけれど、彼らの対応にもソツがない。えらくスムーズで、しっかりしている。 似たような傾向は、建設業や製造業に従事している人にも

    テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人はどこへ行ったの? - シロクマの屑籠
  • 脱専門性について - Joi Ito's Web - 日本語

    メディアラボに着任して最初に学んだ言葉のひとつに「antidisciplinary」(脱専門的)というものがある。新設の教員職の求人情報に、必要条件として記載されていたのだ。異なる専門の人々同士が連携することを「interdisciplinary」(学際的)と言うけれど、脱専門的なプロジェクトというのは、いくつかの専門分野の総和ではなく、真新しい何かを意味している。「脱専門性」という言葉自体、定義が難しい。僕自身は、従来の学界的な意味での専門分野の区分けに適合しない何か、もしくは誰か、すなわち独自の語句、フレームワークや手法をもつ研究分野、の意味に解釈している。研究者の多くは、論文審査(ピアレビュー)のある著名な専門誌への掲載回数でその実績をはかられる。論文審査は通常、ある人が属する専門分野の実力者たちが、その人の仕事をレビューして、重要かつ独創的であるかどうかを判断するというものだ。この

    脱専門性について - Joi Ito's Web - 日本語
  • 承認欲求とは?コミュニケーション偏重主義が生み出す『承認をめぐる病』 - ぐるりみち。

    承認をめぐる病 作者:斎藤 環 日評論社 Amazon 就職活動中、それこそ耳にタコができるほどに聞いた言葉、「コミュニケーション能力」。話す人によって定義が違う場合も多く、僕は「(良くも悪くも)その企業の歯車となって働くための能力」などと脳内変換していたけれど、いまだに何のことか分からない。 そんな「コミュ力」を持たない人間は「コミュ障」と貶められ、コミュニティに適応できないとつまみ出される。自分の居場所を作るには、求められる「キャラクター」を演じなければいけない。 家庭に学校、職場にネット、それぞれの場所で違った「キャラ」を演じ分ける僕らは、いったいいくつの仮面を持っているのだろう。そりゃあ疲れますよ。でも、人付き合いは、社会的に生きる以上は必要不可欠なもの。楽しくもあるが、疲れる。 ネット上でもたびたび話題に挙がる「承認欲求」ですが、それを専門家の視点から詳細に解説したのが、書『

    承認欲求とは?コミュニケーション偏重主義が生み出す『承認をめぐる病』 - ぐるりみち。
  • 『「いいね」時代の繋がり――Webで心は充たせるか?――』“はじめに”を公開します - シロクマの屑籠

    AmazonKindleストアで5月13日にリリースされた電子書籍『「いいね」時代の繋がり――Webで心は充たせるか?――』の冒頭パートを公開します。 【はじめに】 インターネットは、どこまで人と人とを“繋いでいる”のでしょうか。 二〇一二年十二月、インターネットで知り合った友人結婚式に出席してきました。会場には彼のネット仲間が何人も参列して、新郎新婦の門出を祝福したものです。私が結婚したときもネットで知り合った友人たちが来てくれましたし、高校時代の同級生にいたっては、オフ会で知り合った女性と結婚し、今では二児の父としてうまくやっています。こうした周囲の事例を思い出す限り、確かにインターネットは人を“繋いでいる”ように思えます。 その一方で、ネットコミュニケーションに夢中になっているけれども長続きする交際を持たない人、どれだけ繋がっても繋がりきらないような感覚を抱えている人も珍しくあり

    『「いいね」時代の繋がり――Webで心は充たせるか?――』“はじめに”を公開します - シロクマの屑籠
  • 親密さはセックスを遠ざける:日経ビジネスオンライン

    山極:動物にとっては個人的な行為ですが、前編でお話ししたとおり、人間はをコミュニケーションの手段にするため、他人に公開しました。ところが、性について言えば、動物の場合は、公のもの、つまり見せるものですが、人間にとっては隠すべきものになりました。人はと性のあり方を、動物とまったく逆にしてしまった。これが人間独自のストレスを生み出す原因になっています。 人間が性を隠したのは、1人の人がいろんな集団に身を置く「集団遍歴」が関係しています。1つの集団として完結するのではなく、複数の集団が寄り合って生きる地域社会を形成する必要が出てきたとき、家族という単位が形成されました。 その家族の中で性交渉が許されているのは夫婦のみで、兄妹、姉弟、親子間では禁止されています。 コミュニケーション手段としての性 --人類学者などの報告から、現在ではインセスト・タブー(近親間の性交渉の禁止)の有無が、「文化

    親密さはセックスを遠ざける:日経ビジネスオンライン
    ukeye
    ukeye 2013/02/04
    少し古いけど
  • 長文日記

  • 女は感情的である方が良い。或いは、むしろ現代ではどうなんだって話など。

    「女性は感情的で、男性は理論的(というよりも解決指向)」という話はよく聞きます。 でも生物的な何かっていうよりも文化的な価値観だろうという反論もあるようですね。 いや、そんなことはどうでもいいんですけども、ちょっと僕の話を聞いてほしいんだ。 僕の母は呆れるくらい感情的なタイプで、ちょっと気にいらないことがあれば「ムキャキャキャキキキキー」ってなるタイプだった。 そんな母が恥ずかしくて、とても嫌で、僕は割と感情を表に出すのが恥ずかしいことだと感じながら育った。 もちろん笑ったり、ちょっと怒ったりすることはあるけれど、あまり顔に出さないように生きてきたわけだ。 そんな風に少しだけ(拗らせるってほどでもないくらいに)捻くれて育った僕も、大人になって、結婚して、3年くらい前に子供が生まれた。 娘だ。 娘かわいいよ、娘。 それまで子供なんて好きじゃなかったけれど、子供がいる生活って当にいいなと思え

    女は感情的である方が良い。或いは、むしろ現代ではどうなんだって話など。
    ukeye
    ukeye 2012/01/19
    ただの反抗期じゃないのこれ
  • どんなコミュニティなら、劣等感を軽くできるのか - シロクマの屑籠

    前回の記事で、劣等感の軽減を期待するなら、「恋人」より「仲間」だ!と書いた。けれどもどんな「仲間」でも良いかといったら、たぶん、そうではない。この点について、twitter上で、以下のようなコメントを頂いた。 90年代以降「仲間コミュ」癒しというのは、社会学/臨床/市民運動こぞって提唱されましたが、一時的にはともかく長期的にうまくいったケースはかなりまれなのではないでしょうか。 RT @twit_shirokuma 「仲間」と一言で言っても、かなり上手いコミュニティじゃないと駄目 2011-12-30 11:36:15 via web to @twit_shirokuma 数多くの自助グループが崩壊するのは、同質同根のアキレス腱でループを繰返し、崩壊するより他に「出口なし」状態に至からなのでしょう。URL RT @twit_shirokuma 2011-12-30 11:40:46 via

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