まず始めに申し上げておきたいのは、この記事は電子書籍がいいものかどうかについて書いたものではない、ということです。私が今朝から考えていたのは、iPodが電子書籍としての役割を果たすときが間もなくやってくる、と期待することがいかに莫迦げており、自分はなぜそれが間違っていると思うのかについてです。私は最終的に、本のもつ「物質的な属性」がその理由である、という結論にたどり着いたのですが、多分それは、あなたが思うような方向ではありません。 まず誰かが最初に、「書籍は立体的で、感覚的で、知識も詰まっている。手触りや匂いもありますよ」と言わない限り、本の未来を議論するための要素は揃いません。たしかに私も、お風呂に浸かりながら読書するのも、余白に落書きなどをするのも好きです。でもこの問題は、私より優秀な人たちによって繰り返し論じられていますので、脇に置いておきましょう。 本の物質的な形態が内容にも影響を
アメリカの(それに準じてヨーロッパでも)本は往々にして分厚くて重い。満員電車に揺られながらコンパクトな文庫本で読書をする必要がないし(ちなみに欧米人がいちばん本を読むのはバケーションの時、つまり夏)、一方で、何でもあくせくしているこんな時代だからこそ、本を読むときは長い時間楽しめるものを、という欲求もあるからだろう。 来月下旬にようやく英語圏でも村上春樹の『1Q84』(上の映像はそのPV)が出るが、日本では3巻に分けられていたものが1冊で登場する(ゲラで見せてもらった時には1000ページぐらいあった)。スティーブン・キングのようなコマーシャルな作家も、ジョナサン・フランゼンのような純文学系の作家も新作を発表するときは、満を持して大作をぶつけてくることが多い。ファンとしては、長い間待たされてお腹が空いたところへ大盛りの料理が運ばれてくるようなもので、やったるでー、というわくわく感がある。 本
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