早良親王を祀った崇道天皇社(奈良市西紀寺町) 早良親王(さわらしんのう)は、光仁天皇の皇子、母は高野新笠。桓武天皇、能登内親王の同母弟。桓武天皇の皇太子に立てられたが、藤原種継の暗殺に関与した罪により廃され、絶食して没した。崇道天皇(すどうてんのう)と追諡されたが、皇位継承をしたことはないため、歴代天皇には数えられていない。 経歴[編集] 母方が下級貴族であったために立太子は望まれておらず、天平宝字5年(761年)に出家して東大寺羂索院や大安寺東院に住み、親王禅師と呼ばれていた。東大寺で良弁の後継者として東大寺や造東大寺司に指令できる指導的な高い地位にいた[1]。天応元年(781年)、兄・桓武天皇の即位と同時に光仁天皇の勧めによって還俗し、立太子された。その当時、桓武天皇の第1皇子である安殿親王(後の平城天皇)が生まれていたが、桓武天皇が崩御した場合に安殿親王が幼帝として即位する事態を回避