MEDITATIONES DE PRIMA PHILOSOPHIA, IN QUIBUS DEI EXISTENTIA, ET ANIMAE HUMANAE A CORPORE DISTINCTIO, DEMONSTRANTUR.
![省察 (デカルト ルネ)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/cd90210e6affae35d7a252ced161d9aed075f9e4/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.aozora.gr.jp%2Fimages%2Ftop_logo_300x300.png)
石川県生まれ。1896(明治29)年に金沢の第四高等学校講師、次いで教授となった。1911年(明治44)に発表した「善の研究」で、その西洋哲学と充分比肩しうる独創性で日本の思想界に衝撃を与える。その後も西田は「善の研究」の〈純粋経験〉の立場に長年にわたり厳しい批判を重ね、ついに〈場所の論理〉に到達する。その後、マルクス主義の台頭を睨みつつ〈歴史的現実世界〉の問題と取り組み、〈場所〉を〈弁証法的世界〉として具体化し、〈絶対矛盾的自己同一的世界の自己限定〉として〈歴史的実在〉の世界をとらえる立場を展開した。 近年になって脱構築の流れに乗って世界的な再評価が進んでいる哲学家の一人である。(nns) 「西田幾多郎」 公開中の作品 アブセンス・オブ・マインド (新字新仮名、作品ID:43654) 或教授の退職の辞 (新字新仮名、作品ID:43655) 井上先生 (旧字旧仮名、作品ID:54368)
[#横組みで、ページの上部、左右中央に] La pense doit remplir toute l'existence. MAINE DE BIRAN, Journal intime. [#改ページ、ページの左右中央に] 序 この書は雑誌『思想』第九十二号および第九十三号(昭和五年一月号および二月号)所載の論文に修補を加えたものである。 生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあることを知っている。しからばこの現象はいかなる構造をもっているか。「いき」とは畢竟(ひっきょう)わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。現実をありのままに把握することが、また、味得さるべき体験を論理的に言表することが、この書の追う課題である。 昭和五年十月 [#改ページ、ページの左右中央に] 目 次 一 序 説 二 「いき」の内包的構造 三 「いき」の外延的構造
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