映画「デスノート」の虚構としてのリアリティ 映画「デスノート」を見た。マンガはコミックで読んでいたが、映画化はむずかしいのではと思っていた。名前を書くことで人を殺せる死のノートを手に入れるとどう使うかという「正義とはなにか」という大きなテーマがあり、マンガのおもしろさは心理の葛藤にある。 しかし映像で表すと、「ノートに名前を書く」→「突然、人が苦しみだして死ぬ」。役者が突然苦し倒れる映像は、実写ヒーローもの程度にさびしく、リアリティがない。実際にみてほんとにそのようだった。また主人公月(ライト)などの心理表現の映像化はむずかしく、結局、悪魔的少年というわかりやすいキャラクターで描くしかなかったようだ。 唯一の救いはCGで描かれた死神デュークの存在である。そのCGがどれだけリアリティがあるかというよりも、仮にCGで描かれた死神デュークがいなければ、役者が突然苦し倒れるような虚構性はさらにサブ
「ウェブ進化論」を脱稿(もう原稿に手を入れない状態に)してから約半年が経過した。半年遅く、ちょうどいま本を書いていたとしたらどう書くか迷うだろうな、と思うのがYouTubeである。別の言い方をするとすれば「ウェブ進化論」に書かれていない「その後の世界」で最も重要な会社がYouTubeだと言えるだろう。 YouTubeはまさに2006年の現象である。 まず個人的経験をいくつか。 (1) 4月にテレビ出演(WBS)した映像は、CM削除編集がなされ前半と後半に分割された録画映像が、翌日か翌々日、YouTubeにアップされていた。テレビを生で見損なったという友人や、海外在住の友人たちには、そのURLを送るだけで済み、おそろしく便利だった。僕がテレビに出た映像などロングテールの尻尾もいいところだから、この映像は二ヶ月くらいずっとYouTube上に存在していたが、今はもう消えている。 (2) その後、
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