Rebiya Kadeer with Alexandra Cavelius, Dragon Fighter: One Woman’s Epic Straggle for Peace with China, Kales Press, 2009 “ウイグルの母”ラビア・カーディルは、中国政府による苛酷な弾圧から逃れたウイグル人亡命者の組織・世界ウイグル会議の主席を務めている。本書は、彼女へのインタビューをもとに物語風に再構成された自伝である。巻頭にはダライ・ラマから寄せられた序文が掲げられている。 政策として行なわれた強制移住への戸惑い、貧困、必ずしも望んだわけではなかった銀行幹部との結婚、文化大革命、そして離婚。漢人優位の社会体制や女性の立場の低いウイグルの伝統的な考え方の中、公的な教育を受ける機会のなかった彼女にとって状況は最悪であった。しかし、自立心の旺盛な彼女は洗濯屋を皮切りに、試行錯
芹沢一也『〈法〉から解放される権力──犯罪、狂気、貧困、そして大正デモクラシー』(新曜社、2001年) ミシェル・フーコー的な権力論の視座を通して大正デモクラシーの時代風潮を読み解こうとした刺激的な論考である。本書は、統治の対象としての民衆が可視化、直接権力の眼差しにさらされ始めた状況として“大正的な社会”を捉える。 吉野作造の民本主義と牧野英一の新派刑法学とが“法からの解放”という点で実は同じロジックをとっていたという指摘に興味が引かれた。吉野の民本主義は、民衆の台頭という社会状況を踏まえ、明治憲法に規定された天皇主権を“カッコに括る”(つまり、主権の所在を問わない)ことにより、民衆の意向を汲み上げる政治実践を可能とする理論的基礎を示した。こうした吉野(及び美濃部達吉の天皇機関説)の“カッコ入れ”のロジックに対し、明治憲法を愚直に読んで天皇主権説を主張した上杉慎吉が比較される。 一方、牧
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