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ブックマーク / inoues.net (2)

  • ストーンヘンジ

    ストーンヘンジは、イングランドの先史時代遺跡である。太古の昔からここにあり、人々の好奇の対象になっていた。ノルマ ン人がイングランドを征服してから早くも70年後の文献に、「英国の不思議」として記述されている。考古学的な発拍調査に よって、その歴史と年代に関する信頼できる情報がもたらされたのは20世紀になってからで、現在ではストーンヘンジの主な 特徴、おおよその築造年代、築造の手順などが明らかになっている。 現在、見学者は西側からストーンヘンジを見学するようになっている。元来の儀礼用の入り口は北東にあり、後になって同じ 方向に行進用の大通り、アベニューがつけ加えられたと考えられている。入り口とアベニューは夏至の日の出の方角と一致し ている。航空写真で見ると明らかなこのアベニューを徒歩で辿ることもできる。今日、見学者が目にする最終段階のストーン ヘンジは相当に廃墟化したものであり、完成時のスト

  • 青森・キリストの墓

    青森県三戸郡新郷村大字戸来にキリストの墓なるものがある。今日では偽書として有名な、「竹内文書」の製作者と目される武内巨磨が、昭和10年古代史研究家鳥谷幡山なる者他数名とこの地を訪れた。 そして、「竹内文書にキリストがこの村に住んでいたと書いてある」と訴え、当時の村長の案内で小高い丘の上にあった土まんじゅうを二つ見つけ、右側の「十来塚」をキリストの墓、左側をキリストの弟イスキリの墓「十代塚」とした。 以来この村ではここがキリストの墓と言う事になっており、今日では村をあげての観光資源と化している。その説に依れば、遠くユダヤの地で磔にあったのはキリストではなく弟イスキリだと言う。キリストはユダヤを離れ、シベリアを横断し、アラスカから船に乗って青森県八戸に上陸したと言うのである。 キリストは20代の時にも日に来ており、再上陸したのちは日人のをめとり、新郷村で3人の娘を育てたそうである。この村

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