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ブックマーク / www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk (2)

  • 本当は怖い道成寺:「京鹿子娘道成寺」

    (戻る) 当は怖い「道成寺」 〜「京鹿子娘道成寺」 1)道成寺説話について 謡曲「道成寺」は「朝法華験記(ほんちょうほっけげんき)」第129紀伊国牟婁(むろ)郡悪女の話などの道成寺説話を説としたものですが、説話をそのままに劇化したものではなくて、その後日談の形になっています。 紀州日高寺(道成寺)で長らく無くなっていた釣鐘を再興することになりました。その鐘供養の日に、僧侶は「仔細あって女人禁制なので決して一人もいれてはならない」と能力(のうりき・寺男)に命じます。ところが、そこへひとりの女性がやってきて拝ませてほしいと頼みます。能力は女が白拍子だと聞いて、舞を舞えばなかに入れようと言います。白拍子が舞ううちに鳥帽子を落とすと、鐘が落下して白拍子は鐘のなかに隠れます。やがて、鐘が上がるとなかから蛇体が現れるのです。僧侶はかつてこの道成寺で起こった不思議な出来事を語り始めます。僧侶がこの

    umeten
    umeten 2006/01/23
  • 女形の哀しみ:歌舞伎の女形の「宿命論」

    (戻る) 女形の哀しみ 〜歌舞伎の女形の「宿命論」 1)女形の哀しみ 寛政五年(1793)のこと、五代目団十郎を贔屓にする山東京山が兄の京伝とともに河原崎座に出演中の団十郎の楽屋を訪ねました。京山によれば、岩藤の扮装中だった団十郎は涙をボロボロと流しながらこんなことを語ったと言います。 「世間の人なら倅に家業を譲って隠居をする歳なのに、卑しい役者の家に生まれたばっかりに、この歳になって女の真似をしなければならないとは何と因果な事だ。」 (「蜘の糸巻」) 京山もどう声を掛けたものか困ったことでしょう。「役者がこういう事を考え出すと芸に艶がなくなって舞台に永く立つ事ができなくなってくる」と書いています。この時、団十郎は五十三歳。 果たして京山の予感の通り、この三年後の寛政八年に団十郎は引退する事となります。 この団十郎の逸話はいろんな事を考えさせます。世間から「河原乞」などと言われのない差別

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    umeten 2006/01/23
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