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ブックマーク / satomies.hatenadiary.com (7)

  • 知的障害者と選挙 - リツエアクベバ

    娘は今年19歳になる。二十歳になれば娘にも参政権が与えられる。「参政権」、これは「参加」する権利。そして選挙での投票。二十歳になれば娘にも「投票のご案内」が来る、娘の名前が書かれた紙で。選挙に行かないで棄権することもできるけれど、行って白紙票のような「無効票」を投じる権利はあるんだろうか、あると認めてもらえるんだろうか。それが「参政権」の「参」で当に保障されているんだろうか。 そして実際に娘の投票日の行動を決める「義務」は保護者に渡される。 親の葛藤 知的障害をもった娘の選挙権について/Yahoo!知恵袋 娘を連れていっしょに行くことも、娘を置いて私たち両親だけが行くことも納得がいかず、親である私たちまでずっと棄権をしております。 決めきれない後ろめたさで自分たちも棄権。わっかるなあと思う。なんつーか、こう、「置いていく」のがねえ、どこか納得いかないんだなあ。自分たちが棄権を選ぶ予測は無

    知的障害者と選挙 - リツエアクベバ
  • 「臓器移植」と子どもへの虐待とか子どもの人権侵害とか - リツエアクベバ

    わたし自身がA案可決にどうにも引っかかるのは、家族の意志で提供が可能という「子どもの臓器提供」についてなのだと思う。生前の人の意思の前提が無い。この、どうにも引っかかるところに答えてくれているのが「7月17日更新分」にもリンクしたココ。子ども人の権利への視点に学ぶところは多い。 森岡正博「子どもにもドナーカードによるイエス、ノーの意思表示の道を」(生命学ホームページ) 児童への虐待というものは、ずっと昔は漠然と「子どもに対して殴る蹴る」類のことだと思っていた。娘が生まれて子どもへの虐待というものは、もっともっと身近なものであるのだと思い知った。わたしは、子どもへの虐待という行為にとても身近なところにいたのだと思うし、これからも近いところにいるのだと思う。 娘はわたしの所有物ではない。生まれたときから彼女自身の人生が始まっている。娘はダウン症であるわけで。いいとか悪いとかじゃなく、彼女は

    「臓器移植」と子どもへの虐待とか子どもの人権侵害とか - リツエアクベバ
  • ダウン症の顔貌 - リツエアクベバ

    ダウン症児の整形-ESSAY:Milky Way リンク元にダウン症関連のワードによる検索ページがあったので、そこに飛んでそこからリンク飛んだりしてたら見つけたページ。アメリカに住む幼稚園教師の方のサイトのエッセイページのコンテンツだった。栞をはさむようにブックマークしたら、その後ぽんぽんとブックマークが付いていってへえと思った。 白人の中では日よりもダウン症の顔貌は目立つのかもしれない。白人の人のダウン症の人は、やっぱり白人の人の顔だなあと思うけれど特徴的なところはあるのは事実。 ダウン症を蒙古症と呼ばれた時代を知っている人は多いけれど、その「蒙古症」という名前には差別的なところがあったことはあまり知られていない。その昔、白人が人間の進化の姿として最も優れていて、次が黄色人種、最低が黒人という説があったところから、「白人に時々生まれる知的障害のある子どもは、先祖帰りのように退化したため

    ダウン症の顔貌 - リツエアクベバ
    umeten
    umeten 2009/07/11
    発達障害的な顔ってのもあると思うんですよね。ダウン症に比べれば差異が微妙でわかりにくいけど確実にあると思う。
  • まずごめんなさいって、それからだよ - リツエアクベバ

    書いて置けよ、わかるように/北沢かえるの働けば自由になる日記 とある公園へ遠征して、遊具で遊んでいた3歳の娘を、10歳ぐらいの子がキックして泣かせた。 知らん振りしているんで、「コラァ、なにするんじゃい」と追いかけていって、怒ったら、障害者なんです。わからないんです。怒らないでください」と女の人が割って入ってきた。 「わからないからって……蹴られて、娘は泣いているんだよ」 「障害者なんですよ、わからないんですよ。障害者なんですよ」 …。もう何をかいわんや、というヤツです。3歳の女の子を10歳くらいの子がキックって、誰だって怒ります。とっつかまえて怒ります。それはまったくもってとう〜〜〜〜〜〜〜ぜんのことです。怒られるようなことをすれば怒られるのはまったくもって当たり前のことなわけです。 そこで「ごめんなさい、すみません」等の謝罪の言葉があるのは当然のことです。障害ってことを言いたいなら、そ

    まずごめんなさいって、それからだよ - リツエアクベバ
    umeten
    umeten 2009/01/22
    「障害」という政治カテゴリを設定しておいた上で、責任を問うという態度は、おぞましいレベルのダブルスタンダード。/先天的「障害」など存在しない。すべての「障害」は後天的。(ちゃんと文意を読めよ?)
  • 息子に話す - リツエアクベバ

    今日、娘の特別支援学校で高等部の土曜参観。夫は仕事に行く日、息子は部活が無い日。どうする?午前中だけ行ってくるけど留守番してる?いっしょに来る?と聞くと「いっしょに行く」と答える。なんだかなんだかんだ顔を出す弟だよ、と思う。こんなにちょこちょこ学校に顔を出す「もう大きいきょうだい」はあんまりいないよな、と思いながら。でも何気なく二度聞いたけれど二度とも「行く」というので連れて行く。 参観は体育と個別課題と作業。作業ではミシン縫いをこなす。作業の先生がやたらにほめてくださるんだけれど、ミシンの指導で先生が娘を信頼している指導に頭が下がる。息子も「すげえ」と感嘆。「姉」にというより指導の先生に対して。 帰りに車の中でおとうさんの誕生日の話をしながら。おとうさん50歳になるんだよ、なんかすげえなあとわたしが言う。「あと50年か」と息子が答える。おいおいおい…。 あのさ、もう50年も生きないよ。お

    息子に話す - リツエアクベバ
  • ひとりをちょっと見ただけじゃわからないと思う - リツエアクベバ

    その老人が、障害を持つ少年に席をゆずらなかった理由/Not Found 昔、僕が都電を利用していた頃の話。僕が都電に乗っていると1人の知的障害者らしき小学生が乗ってきた。そして、優先座席のところへすたすたと行き、「座らせてください!」と大声を発した。そこにはおじいちゃんが座っており、少し驚いた様子で、「え?」と少年に聞き返した。少年は「座らせてください」と復唱した。そして、間髪いれずに「障害者なので座らせてください!」と繰り返した。 この話を読んで、そしてその後に続く文章を読んで。ふうんそうなるのかあ、と思った。そしていわゆる知的障害児の親ってのを15年やってきて、自分の観点ってのも一般と変わったのかもしれないとも思った。いわゆる一般ってのがどういうものかもよくわからないけれど。 この話、まず思うのは、この「障害者なので座らせてください」という言葉が出る理由、なぜか、ということ。誰が言った

    ひとりをちょっと見ただけじゃわからないと思う - リツエアクベバ
  • 福祉と負担 - リツエアクベバ

    以前、福祉をお勉強している学生さんの教室で、ちょこっと話してくれって言われたときに話したこと。 福祉って、なんかすごくいいことって感じがするんですよね。選挙のときの公約ってヤツに福祉がどうのって出てくると、いい人みたいな感じがする。福祉を学ぼうとする人も多いんだと思う。 でも。じゃあ、隣にいる人の福祉のために、みんなちょこっと我慢してくれませんか?ってことになると、途端に福祉だ、わー、みたいな勢いがしゅんしゅんしゅんって小さくなるとこってあるなあと思うんですよね。 自分は我慢したくないの、でも福祉は大事なの、ってことなんだけど、でも実は福祉ってそういうとこ目の前の問題としてあるようにも思うんですよね。たとえばテレビで障害者施設の建設や運営の困難さなんて出てくると、そりゃ福祉だ、わー、みたいなムードがあるんだけれど。でも、ではあなたのおうちの隣にその施設建ててもいいですか、ってことになると、

    福祉と負担 - リツエアクベバ
    umeten
    umeten 2007/02/28
    非社会化される福祉。脱社会化する社会。
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