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今から約1300年前、日本(倭国)はかつてない危機に見舞われていた。東アジアに、段違いに強大な国家が出現したからである。大阪・上町台地、現在の大阪城公園(大阪市中央区)の南に造られた難波宮(なにわのみや、長柄豊碕宮=ながらとよさきのみや=)は、その緊張の産物だったといえる。わが祖先たちは、どう知恵をしぼって危機に対処したのだろう。難波宮の革新性を探ることで、古代の国づくりの苦悩に迫ってみたい。相次ぎ滅亡した百済と高句麗…動乱の東アジア 7世紀の東アジアは、激動の渦の中にあった。中国大陸で統一王朝の隋が建国され、その緊張が朝鮮半島など周辺の国々に及んだのだ。隋のあとには唐が成立し、日本もその圏外ではなかった。 「唐に攻め込まれるかもしれない…」。力だけが正義の時代である。事実、朝鮮半島の百済や高句麗は滅亡の道をたどっている。大陸からもたらされる最新情報を前に、政権中枢の人々の危機感は切実だっ
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