東知事 “KY”中山前大臣から出馬要請 次期衆院選で宮崎1区からの立候補が取りざたされている宮崎県の東国原英夫知事が8日、都内のホテルで開かれた集会で、同席した中山成彬前国交相から出馬要請を受けた。自治体の首長ら約70人を前にしての中山氏からの“KY”な!?ラブコールに、さすがの東国原知事も不快感ありありだった。 九州横断自動車道延岡線の早期完成を願う総決起大会でのことだ。東国原知事の目の前であいさつした中山氏が、突然「東国原知事にどうしても(次期衆院選に)出てもらわないと困るんです!」とぶちまけた。相次いだ“失言”で引退宣言した中山氏の“後継者指名”とも取られかねない場面に、東国原知事の表情は固まったまま。集会終了まで中山氏とは目を合わせることはなく、足早に会場を後にしてしまった。 中山氏からのラブコールに東国原知事は「総決起大会という場であのような発言をされても困惑しますね。あ
「電王」仮面ライダー最多3度目映画化 テレビ放送終了後も根強い人気を集める「仮面ライダー電王」の映画第3弾が製作される。「劇場版さらば仮面ライダー電王ファイナル・カウントダウン」(監督金田治)で10月4日公開。異例のシリーズ化となったが、これで完結する。 オダギリジョー(32)主演の「クウガ」(00年)から続く“平成仮面ライダーシリーズ”は、劇場版がテレビ放送中の夏に公開されるのが通例。しかし、今年1月にテレビ放送が終了した「電王」は、昨年夏公開に続く劇場版第2弾「―クライマックス刑事」が4月に公開されるなど、異例の展開となっている。 東映の白倉伸一郎プロデューサーは、第2弾がビデオ専用映画の規格で製作されたことを挙げ、第3弾で「最終章にふさわしく映画のスケールでピリオドを打ちたかった」と説明する。 バイクだけでなく、電車に乗って悪と闘う異色作。従来のイケメン俳優路線に加え、ア
帝王切開死させた産科医に無罪判決 福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開で出産した女性=当時(29)=が手術中に死亡した事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医加藤克彦被告(40)に対し、福島地裁(鈴木信行裁判長)は20日、無罪判決(求刑禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。 「基本的な注意義務に反し過失は重大」とした検察側に対し、弁護側は「可能な限りの医療を尽くした」と無罪を主張、全面的に争っていた。 医療行為の過失を問われ医師が逮捕、起訴された事件は医療界の反発を招き、全国の産科医不足に拍車を掛けたとされる。この日の司法判断は医療界に大きな影響を与えそうだ。 公判では、子宮に胎盤が癒着した極めて珍しい症例をめぐり、被告が胎盤をはがす「はく離」を続けた判断の是非などが争点になった。 論告によると、加藤被告は04年12月17日、女性の帝王切開手
タモリの手には白紙…あふれる感謝そのままに タモリは、手にしていた紙を何度も見ながら弔辞を読んでいたが、紙は白紙で、すべてアドリブだった可能性がある。7日夜放送のテレビ朝日「報道ステーション」では、弔辞の様子をVTRで伝え、映像から「手にした紙には何も書かれていないようにも見える」と指摘。インターネット上の掲示板でも話題となり「白紙なんだよね。すごいよタモさん」「あの長い弔辞を白紙で読んでるとかすげぇな」「読み上げるふり。ささげるギャグなのかな」などといった書き込みが相次いだ。 ◆タモリ弔辞全文◆ 弔辞 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私た
ポニョ超えだ!ヤマト25年ぶり復活へ 名作アニメ「宇宙戦艦ヤマト」が最後の劇場公開から25年ぶりの復活に向けて始動した。製作総指揮に当たる西崎義展氏(73)が31日、東京・練馬区内に拠点となる「ヤマト・スタジオ」を開き、「私の最後の作品。宮崎駿監督の“崖の上のポニョ”を超える作品にしたい」とボルテージを上げた。 スタジオ開きには総監督の舛田利雄氏(80)や総作画監督の湖川友謙氏(58)ら約40人のスタッフも出席し「復活編」の門出を乾杯で祝った。04年7月に一度製作が発表された経緯があるが、著作権をめぐる法廷闘争などもあって、その際は断念。西崎氏によると、今回はすべてがクリアになっての再始動。 ヤマトは74年のテレビ放送後、77年から83年まで4作品が劇場公開され、計1000万人以上を動員するブームをつくった。今作は西暦2220年が舞台。移動性ブラックホールの膨張で地球に危機が迫り
◆ 極貧の生いたち初告白…今月17日発売 ◆ 還暦を迎えた落語家の笑福亭鶴光(60)が、自叙伝「つるこうでおま!」(17日発売)を出版する。誕生前に両親が別れ、父親の顔を知らずに育ったことや、貧乏だった少年時代などを初めて告白。下ネタトークを売りにした明るいキャラクターからはうかがえない、等身大の姿が記されている。 ◆ 第2の人生へ区切りの執筆 ◆ 筆を執ったのは今年4月。出版社からの依頼に「還暦だし、人生の原点に立ち返るチャンスかもしれない」と快諾した。 自叙伝の出版は、74年の「かやくごはん」以来。当時はニッポン放送「オールナイトニッポン」のパーソナリティーを始めたばかり。主に、学生時代からのエピソードを面白おかしくデフォルメした半フィクション的な内容だった。 これに対し「つるこうでおま!」では、「ボクの生き様のすべて」とリアルな姿を記した。書き出しから「ボクは父親の顔を知らぬ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く