INTERVIEW 須田亜香里、先輩と後輩以上の関係になれた 珠理奈休養がもたらしたSKE48の変化 記者:鴇田 崇 撮影: 掲載:18年12月08日 読了時間:約7分 SKE48のドキュメンタリー映画『アイドル』が、年明けまで上映が続くなど好評だ。一見はなやかに見える“アイドル”の世界だが、ドキュメンタリー映画『アイドル』では、誰も知らないその裏側に完全密着。一人ひとり違う境遇から同じ夢を持ち、懸命に“アイドル”として生きる彼女たちのリアルな姿、その“アイドル”としての覚悟をスクリーンに映す。 劇場デビュー10周年を迎えたSKE48の、今年の夏の様子に密着。不動のエース松井珠理奈は地元・名古屋で6月に開票発表された『AKB48 53rdシングル 世界選抜総選挙』で悲願の1位を達成したものの、体調不良で休養へ。7月リリースのニューシングル「いきなりパンチライン」では松井の代わりに総選挙2位
1985年・来日公演の模様 (C)SHINKO MUSIC ENTERTAINMENT/MUSIC LIFE ARCHIVES [音楽評・分析] 世界を代表する英ロックバンドのQUEEN(クイーン)。30年前のきょう5月15日は、フレディ・マーキュリーが在籍していた最後の来日公演が大阪で行われた日である。「世界で最も売れたアーティスト」に名を連ね、初来日から40年が経った今も人気は根強い。そのクイーンは、最後の来日公演では解散寸前の状態にあったという。しかも、この大阪公演がバンドの本当の最後のコンサートになるかもしれなかった。彼らのまわりで何が起きていたのか。節目に際し改めて当時を振り返るため、クイーンを長年追いかけている音楽評論家の石角隆行氏(六角堂)に当時の状況について寄稿いただいた。 最後の来日公演となった1985年 クイーンは1975年の初来日以来、計6回、全50本のコンサートを行
1975年4月20日、東京プリンスホテル日本庭園での野点の模様(C)SHINKO MUSIC ENTERTAINMENT/MUSIC LIFE ARCHIVES 1975年4月20日、東京プリンスホテル日本庭園での野点の模様(C)SHINKO MUSIC ENTERTAINMENT/MUSIC LIFE ARCHIVES [前編・1975年編、寄稿・石角隆行(六角堂)]クイーン、ボーン・トゥ・ラヴ・ユーや伝説のチャンピオン、ウィ・ウイル・ロック・ユー等で知られるイギリスのロック・バンドのクイーン(QUEEN)は1975年と2004年に2回、日本で大きなブレイクを果たしている。そのいずれもがクイーンの躍進する契機になった。 当時はアイドルバンド クイーンといえば短髪に髭、上半身裸で歌うマッチョなイメージのフレディ・マーキュリーを思い浮かべる人が多いであろう。その姿からは想像もつかないが、日本
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