こういう事の根本って差別やイジメと変わらないんやがな。結局こいつら本当に人権意識が高いわけじゃなくて、正義を建前にしたイジメを楽しんでるだけやんけ。
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わたしは京都が好きで、京都メディアで働いている38歳です。ちなみにこの媒体「Kyoto Love. Kyoto」の編集部です!「京都好き」と話すと、移住してきたと思われることも多いですが、実は京都生まれ京都育ちなんです。京都人は京都を愛して、自分の核にしていますが「京都が好き」とはあまり表明しないものです。 わたしは京都の中でも「西京極」出身。京都府だし、京都市内だし、平安京の中だし、まぎれもない京都人なのですが、それでも自己紹介のときには「いえ、京都といっても、西京極ですので・・・」という心情になり、これをはじめに付けないと話せません。これって、何故なのでしょう。また笑い話やインターネットで語られる「京都カースト」って現実ではどのような形で存在しているんでしょうか?自分の体験からという狭い知見になりますが、お話いたします。 私にとって、京都の最古の記憶は、年賀状を書いている小学生の自分で
平均年収443万円――これでは普通に生活できない国になってしまった。なぜ日本社会はこうなってしまったのか? 重版7刷の話題書『年収443万円 安すぎる国の絶望的な生活』では、〈昼食は必ず500円以内、スタバのフラペチーノを我慢、月1万5000円のお小遣いでやりくり、スマホの機種変で月5000円節約、ウーバーイーツの副業収入で成城石井に行ける、ラーメンが贅沢、サイゼリヤは神、子どもの教育費がとにかく心配……〉といった切実な声を紹介している。 私の原体験 あまりに若者が疲れている、何かおかしい──。 社会人になりたての2000年から2003年にかけて、当時、経済記者だった私が感じたことだった。その頃に社会に出た同世代の多くが、連日の“サービス残業”で終電帰り、土日も“サービス出勤”をしていた。たまに休める日は疲れ切って動けず、寝たきり状態。よく言われる「若い時は勉強だ」という域を超えているよう
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