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「震災による死」に人々はどう向き合い、感じてきたか。この春に卒業する東北学院大の社会学のゼミ生たちがフィールドワークを重ねて、卒論を書いた。工藤優花(ゆか)さん(22)は、宮城県石巻市のタクシー運転手たちが体験した「幽霊現象」をテーマに選んだ。 50代の運転手は工藤さんに、こう打ち明けた。 震災後の初夏。季節外れのコート姿の女性が、石巻駅近くで乗り込み「南浜まで」と告げた。「あそこはほとんど更地ですが構いませんか」と尋ねると、「私は死んだのですか」と震える声で答えた。驚いて後部座席に目を向けると、誰も座っていなかった。 別の40代の運転手。 やはり8月なのに厚手のコートを着た、20代の男性客だった。バックミラーを見ると、まっすぐ前を指さしている。繰り返し行き先を聞くと「日和山」とひと言。到着した時には、もう姿はなかった。 工藤さんは3年生の1年間、毎週石巻に通い、客待ちの運転手をつかまえて
日航ジャンボ機墜落事故から30年がたち、記憶の風化が懸念されるなか、遺族の1人が、事故で長男らを失い、今では90歳を超えた父の半生を記録に残したいと、手記や日記を本にまとめ、このほど出版しました。 事故から30年がたち、父の半生を記録に残したいと、次男の橋本毅さん(61)が出版を決めました。 栗原さんは大正12年生まれで、戦後はシベリア抑留ののち、ふるさとの栃木県に戻り、教師として体育を教えました。手記には「狭い校庭ながら子どもたちの心にふれることができた」など、希望に満ちた記述が目立ちます。 しかし、定年後の62歳のとき、事故で長男らを失ってからは、墜落現場の御巣鷹の尾根を繰り返し訪れ、「逃げるすべもなく死んでいった子どもたちに対して『安らかに眠れ』とはどうしても言えなかった」「心の中で『帰ってこい、帰ってこい』と叫びながら山を下りた」などとつづっています。 栗原さんは去年10月から体調
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