高畑勲監督逝去で考えた話を、もう少し掘り下げてみたい。最大の疑問は「『アルプスの少女ハイジ』(1974)で空間を緊密に固めたのに、なぜボカシと余白の日本画調を選ぶように変わったのか」ということだ。高畑監督には「十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの」(徳間書店)という著書もあり、「かぐや姫の物語」(2013)で実践したのは当然ではある。劇中、姫が鳥獣戯画めいたスケッチを描くカットでもそれを示している。 しかし気になるのは、晩年の高畑監督が「アニメの閉鎖性」に苦言を呈していたことだ。アニメを含む娯楽映画が情報を盛りすぎるようになった結果、解釈の振り幅が乏しくなって想像力が囲いこまれてはいないか。映画の機能にも「共感」や「感動」ばかりが求められ、観客のほうで触発されて思考する余地がなくなってはいないか……。 自分にとっては概要そんな問題提起だ。これは筆者の中では、安