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2010年7月19日のブックマーク (5件)

  • 心と快楽 - 仮想算術の世界

    こんにちは。最近お香と知恵の輪に惹かれている福嶋です。 さて、いまちょっと格的に更新する余裕がないので、今回は「『最果てのイマ』(フルボイス版が出るのも知らずに、うっかり買ってしまった)は傑作か名作か」という問題がらみで友人に即興で宛てたメールを、そのまま貼ってしまいます。なにやらきもい文章ですが、プライベートで書くものなんてこんなもんでしょう。 まぁでも、いまさら僕が言うことでもないですが、田中ロミオさんの文章はマジで素晴らしい!こんなひとと同時代を共有していることを、純粋に嬉しく思います。 * まぁほら、俺って所詮は文学少年だから。ああいう快楽の空洞化した世界って わりとリアルに思えてしまうんだね。 なんというか、文字通りのhollow ataraxia(うつろな楽園)ってかんじ? これぞエロゲーの世界観の真髄だと思っております。麻枝も、奈須も、 めておも、煎じ詰めれ

  • 文芸空間 東浩紀『情報環境論集 東浩紀コレクションS』

    ◎2007年刊行 二つの重厚な情報論がメインとなっている一冊 ・2002年から2003年に中央公論に連載された「情報自由論」 「情報自由論」はWebでも公開されていて読むことができる ・1997年から2000年に『InterCommunication』に連載された「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」 ○注意点……書は、「あとがき」から先に読むべき ・初出が1997年、単行化がその十年後。ながらくの形にならなかったのは、書の論文を書くうちに、誤算や反省が生じたためとのこと。あとがきにその経緯が書いてある。まずそちらから読むべき ・「サイバスペース論」を名論文とする若い人の意見がある。ぼくも実際、素晴らしいと感動するところが多かった。そもそも、これを読まないと、『存在論的、郵便的』と『動物化するポストモダン』のつながりが理解できない。しかし、大学の研究者の視点から読めば、まずいとこ

  • 空気系はセカイ系の正統な後継者か? - the deconstruKction of right

    東京芸術大学の公開講座Speculaを聴講してきた。池田剛介さんと千葉雅也さんが毎回討議者として参加しつつ、各方面の方々と討論する当企画。今回は「セカイ系という想像力」というテーマで前島賢さんと黒瀬陽平さんがゲスト参加。『社会は存在しない』というセカイ系論集を一応共著で出してもらった身としては、聞きにいかねば、という感じで聞きにいった。 全体の大雑把な感想は省略するが(前島氏の著作『セカイ系とは何か』の要約と、後半のユーモラスかつ戦略的な切り返しの妙技が冴えわたっていた)、池田氏が『社会は存在しない』所収の佐藤心論文に言及し、「崇高」のテーマについて語っていたところは、もっと聞きたいと思った。あの場で絵が出ればよかったと思うのだけれど、セカイ系の特徴として前島氏や前田久氏が特権化する「空」の表象と、池田氏の出されたターナーやフリードリヒの絵は確かに親和性があると思う(こんなの)。そして無限

  • 当事者発言論としてのフランス現代思想 - Freezing Point

    最近ようやく気付くようになったが、 20世紀のフランス思想は、《当事者発言》の推奨と、そのための原理的整備を延々とやっていたのではないか? ざっと思いつくだけでも、 ドゥルーズの《受動性》。 すでに生きている関係性から当事者的に立ち上がる思考。 ドゥルーズがフーコーについて整理した、「他人に代わって語るのは下劣だ」 運動が全体化することに対する、運動当事者による分析としての「n−1」 ジャン・ウリ/ガタリの「agencement collectif d'énonciation」は、集団のさなかにあって影響を受けあう言表行為を、自分の巻き込まれた実情として主題化する(参照)。 ラカンのいう「メタ言語はない Il n'y a pas de métalangage.」は、自分を棚上げにする思考を告発している*1。 しかし、ウリ/ガタリの強調する制度論的当事者化の観点からすると、ラカンの当事者化は

    当事者発言論としてのフランス現代思想 - Freezing Point
  • 原因なき世界での、意味への嗜癖 - Freezing Point

    精神分析と現実界―フロイト/ラカンの根問題 作者: 立木康介出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2007/07/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 63回この商品を含むブログ (32件) を見る 傍線や付箋・書き込みだらけになった。 ひきこもりを論じるために、書を基文献の一つに挙げたい。 理解できない部分、疑問の残る部分もあるが、今回は、私が引きこもりでいちばん核心的だと思うモチーフに関連して*1。 ここで私たちは、この夢にかんするラカンの評釈の検討をしばし中断し、「原因」という語が、私たちの辿りつつある文脈において、すなわち、『セミネールXI』*2のはじめの数章においてもっている、重さと響きを思い出しておかねばならない。 このセミネールのなかで、「無意識」を皮切りに四概念の再定式化にのりだすとき、ラカンが、法はシニフィアンの連鎖の中で決定力をもつものである、と述べなが

    原因なき世界での、意味への嗜癖 - Freezing Point