ここでは自宅サロンを開業するまでの流れを3つのステップで解説していきます。この流れに沿って見て頂ければ、自宅サロンを開業するまでの最適な道のりがきっと見えてくると思います。まず3つのステップは以下のようになっています。自宅サロンの具体的イメージを固める自宅サロンのメニューを考える自宅サロンの開店準備...
私は子供のころ、もうこれ以上はないというくらい「きのこ」派であった。 「たけのこ」を選ぶ人間がいるなどということは、どうかんがえてもありえないと、かたくなな思いをロビンマスクのよろいくらいの硬さで抱いていた。 「きのこ」のすばらしさに比べてあの「たけのこ」のどうしようもなさといったら! 子供のころの私は、出会うたびに必ずといっていいほど「きのこ」に賛美のまなざしを浴びせ、そして目の端でするどく「たけのこ」に向かって侮蔑のまなざしを向け、自らの判断の正しさと「きのこ」のすばらしさをただひたすらに噛みしめていた。 だが、いつのころからだろうか? かつての硬度6な思いとは打って変わり、私は今や完全に「たけのこ」派になっている。 いったい何が私を転向させてしまったのだろうか? かつては忌々しいまでの思いを抱いていたあの口当たりのスカスカ感が、今ではチョコと合いまった程よいしっとり感として称えられて
「空気を読む」ことの過剰とは薄氷化する場への恐怖 「空気を読む」というときの「空気」のメタファーが示すものは、「見えないがある」、ということであり、見えないものとは言葉である。「言葉として発せられなくてもそこにある言葉」である。たとえば「いいよ」というお世辞の裏に「いいかげんにしろよ」という意味があることを理解する、ということだ。 日本はハイコンテクスト社会と言われてきた。「言葉として発せられなくてもそこにある言葉」によって社会がなりたつ。外国人が日本人がわかりにくいのは、このような言葉を読むことが困難であるからだ。このように「言葉として発せられなくてもそこにある言葉」としてコミュニケーションを行ってきた日本社会において、それを支えるコンテクスト(文脈)の共有が困難になってきている。ハイコンテクストがくずれてきている。 それでも僕たちはハイコンテクストを前提とする曖昧にコミュニケーション手
キャリアって「何をやったことがあるか」もあるけど「前職でいくらもらっていたか」というのも大きいんだよね.誰も絶対的な給与水準の感覚なんてないから,どうしても「前職でいくらもらってましたか?」というのが重要な基準となる.だから,やりがいのあることだったり,必要な経験を身につけるためであっても,給与の下がるポジションに移る事はリスクが大きいし,勇気がいる.あと病気療養とかでブランクがあくと給与が下がったり.けど,これってすごく経路依存性があるから,給与が低いひとは低いままだし,いちど高くなると転職そのものが難しくなったり,能力以上に高い給与を得る事もある.人事がまともなら移行期間は前職の給与だけど,だんだんと企業内部の給与水準に収束させる訳だけど,誰かの給与を下げるためには結構まじめに説明可能な管理をする必要があって,なかなか大変だったりする.そうやって経路依存的な問題で所得が二極化しているの
コミュニケーション能力を「結果論」とみなして「実体無きもの」とする見方を発見した。果たしてそうだろうか。 http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2006/04/post_ec4f.html 自分の利益になるように「成功」した(引用記事で言えば『女をゲットできた』)行動だけが「コミュニケーション能力が高い行動」として認められるってことなんだよなぁ。「失敗」した行動は、プロセスに関係なくすべて「コミュニケーション能力が低い」とされる。要するに、「勝てば官軍」。 この指摘からは、コミュニケーションには「成功」「失敗」という線引きがあって、「成功したものだけがコミュニケーション能力高しと指摘し得る」という含意が読み取れる。女性をゲットできたら成功、女性をゲットできなかったら失敗、リスクを回避出来たら成功、リスクを回避できなかったら失敗、というところだろ
僕がはてなブックマークを知ったのは多分、mozyさんによるブックマークがきっかけだと思う。リファーラーで知ったのだ。 当時いくつかブックマークされた記事には、結構辛辣なコメントがついていた。 ただ僕は、はてなブックマークとはそういう場だと思うので、反対意見も歓迎だったりします。つまり「この記事に対する、世間一般の反応」が見られる、というのがはてなブックマークの魅力。 でも僕自身はてなのidを取得して無駄にブックマークをしてゆくにつれて、はてな内でも僕の存在を知ってくれる人が増えてきたのだろうと思う。偉そうな物言いになりますが、はてな界隈でのid:lstyの認知度が結構上がってきた気がする。 そうすると、結構「ああ、あの人の記事か」ということで、けなすのを躊躇する人が増えるんじゃないのかな、と思う。結構いい加減な事を書いても、あまり叩かれなくなってきた。そうなると、ちょっとつまらない。いや、
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
「アッテンボロー」さん*1曰く、 では2チャンネルとは何か。結論を先に行ってしまえばインターネットの匿名性を利用して莫大な収益を上げる犯罪組織であり、新たな形を持って登場した反革命右翼の運動体である。細かいからくりについては末尾に上げる反2チャンネル活動をされている人々のブログやサイトを参照して欲しいが、オウム真理教や統一協会と言ったカルト宗教が信者を獲得する会に、対象者を山中の施設などに連れ込むことで外界と遮断し情報操作を行って洗脳・マインドコントロールを行っていた物を、対象者が引きこもりなどであることを利用して自宅にいながらにして洗脳・マインドコントロールしているのだ。大量の「プロ固定」と呼ばれるサクラを使い、あたかも2チャンネルの中で主流を占める考えこそが正しいという錯覚を引き起こしている。その為被害者となるのは圧倒的に少年少女や青年層である。また、 2チャンネルに対する糾弾闘争とは
現代美術家でルイ・ヴィトンのデザインなどで知られる村上隆さん(44)が、自らのデザインと類似したキャラクターを勝手に使用され著作権を侵害されたとして、大手子供服メーカーの「ナルミヤ・インターナショナル」(東京都港区)に損害賠償などを求めた訴訟は24日、東京地裁で和解が成立した。ナルミヤ側が遺憾の意を表し、数千万円の和解金を支払う。 村上さんは92年、ネズミをモデルにした「DOB(ドブ)君」を発表し、のちに代表的なキャラクターとなったが、04年7月、ナルミヤ側のキャラクター「マウスくん」4種類が似ているとして、使用差し止めや賠償を求めて提訴。東京地裁は4種のうち現在使われている1種類を除いて類似性を認め、和解を勧告した。(毎日新聞より) http://www.excite.co.jp/News/society/20060424212500/20060425M40.115.html 村上隆の仕
A〜Fの中に適当な値を入力して送信するだけ! これであなたも朝日新聞記者になれるかも!? ・・・( ━@Д@)φ コレハベンリダ
■[misc]被萌え タイトルに意味無し。 ところで、非モテの一部のひとたちはなぜシミュレーションするときに悪い選択肢を積極的に選ぶのだろうか。いや「まず最悪の状況を考える」という手は必要だけれど、それは「その状況のために先手を打つ」ためのシミュレーションであって、あらかじめ想定してそこを避ける、ということではないのでは。 つまりシミュレートが変だよ、と。子供を跳ねると思ったら、クルマは運転できない。だから子供が飛び出すことを想定しつつ運転する。 「最悪の状況⇔そうでない状況」と選択をあんまり相対化してしまうと、結局、 モテの結末はかなり最悪なことになるぜ 被モテの結末はかなり最悪なことになるぜ ということが両方成り立ってしまう。つまり「選択肢なし」になるはずなんだけれど、なぜかそこまでは突き詰めていない。 たぶんそこには「今がほぼ最悪なんだからこれ以上悪くなりようがない、すくなくとも非
あんたジャージでどこ行くの: 「件について」というタイトルが激しく萎える件について あんたジャージでどこ行くののLSTYさんは一発で読む気がなくなると仰るのですけど、割とよく見かけるこの「○○が××という件について」という題名、僕は非常に良い題名だと思うんですよ。 これ基本的に「題名に結論あり」なんですよね。 ひねって使う場合は、結論はこうだろう、と思わせておいて最後まで読むとドンデン返しになるのですけれど、この場合にしても多くの人が興味を持ちにくい題材の場合は読者獲得に失敗しているわけです。 よく話題にされがちな○○について、多くの人が××と思っているようだけど? よく話題にされがちな○○について、自分は××と考えたけど? という具合に使われるこのスタイルの題名は、○○についてはじめから興味がない人にとってはどうでもいい記事扱いされてしまいますが、中身を簡潔に伝える題名として僕は優れてい
そうやって、視点を我らよりも30cm上に置き、無難に普遍化することはた易い。そうした意味でこのR30という希代のブロガーが今までしてきたことは、絶え間ない「趣味による」普遍化の重層的な繰り返しであったとも言える。 民主党懇談会でほとんど一言の発言もなく速記に集中し、誰よりも早くその特報エントリーを速報アップした上で、ブロガーの「はしゃぎすぎ」を500マイル離れたところから1人侮って見せた彼は、その同じ筆によって、今回は2ケ月もの長きにわたって、この問題の問題点に対して沈黙した末に、極めて恐るべき、そして優秀なオーマー「松永英明」を、我ら日本人の「普遍の問題」として捉え、「趣味として」そして「仏教徒として」、この事件をこともあろうに、アジアと日本の問題にメタ昇華して、今後も華麗なるアルファブロガー人生を続けていこうとしているのである。 泥水に一瞬身を浸すと見せて、鮮やかにタオルで身を拭い、「
「あちら側」と「こちら側」。 というと漫画「迷走王ボーダー」を思い出してしまうのですが、最近では、web2.0(死語?)から派生して、使われることが多いですね。例えば、マイクロソフトは「こちら側」の企業戦略であるのに対して、グーグルは「あちら側」の救世主であるという具合で、どうも「あちら側」が少しカッコいいみたいです。もちろん、使って許されるのはネット世界の中だけで、現実世界で「この企画は、こちら側っぽいからダメですよ。web2.0志向で、あちら側に行って勝負しましょうよ!!」なんて言おうものなら、文字通り「あちら側」に放置されてしまうでしょう。 さてアルファブログ世界を阿鼻叫喚の渦に巻き込んでいる「ことのは」問題。アルファ御大である湯川先生(ノーベル博士ではないです)にまで飛び火して、どうなることかと気になっていました。いや、正直、野次馬な性格なので、わくわくしていたものです。ところが、
嫌なら止めればいいのに、は二つの解釈が出来て、「あなたがそれを嫌なら、それを止めることはあなたにとって良い選択肢だ」という助言と、「あなたがそれを嫌なら、(私は嫌なことを嫌々する人を見るのを見るのが嫌いなので)止めてくれると私にとってありがたいのに」というメッセージと取り得る。僕が使うとしたら、後者の意味で、単に、あんたなんかいない方が私にとっては都合が良い、という意思の表示です。私が「嫌なら止めればいいのに」と口にすると相手にとっては嫌な度合いが増すかも知れず、そしたらますます止めたくなるかも知れないので、とりあえずいっとけ、という言葉になりそうだけどイメージが悪いので使わない。 前者の助言にはもちろん反論が可能だけど(文句もあるけど好きなところもいっぱいあるので離れられないわ、それに嫌なことを嫌だって言ってたら直してくれるかも知れないし、等々)、後者の意思表示は本当に"きもい"と同じレ
「エビちゃん」が苦手だ。ああいうキラキラしていている女性はどうもダメだ。はっきり言うと恐怖を感じる。 彼女たちは戦士である。化粧、洋服、そして会話の内容や趣味。すべてが「モテ」るための武装だ。もちろん、彼女たちは好んでそういう事をしているんだけど、何故、そういうものを好むかといえば、「大好きな自分=モテている自分」という図式があるからだろう。 あの完全武装を前に「モテ」武装が貧弱な我々は怯む。確かに可愛らしいし、素敵な格好である。さぞかし一般男性の受けはいいだろう。 でも私にとっては怖い。 「私がこんなに武装しているのに、どうしてお前はそんなに無防備なのだ。戦う気のない奴は去れ!」 彼女たちはそう言いながら、白い目でこっちを見ている気がするのだ。 彼女たちの価値観において、我々はどれだけ生きる価値のないゴミクズ野郎なんだろう。そう思うと、いたたまれない気持ちになる。彼女たちの前から、消え去
タイトルに意味はありません、るーみっくわーるど。 身元証明としての付加情報 ブログやBBSなどのコメント欄では、名前(ハンドル名)やサイトURL,メールアドレスなどを入力することによってネット上の身元を明かすワケですが、他所のコメント欄で面白い発言をしてる人を見かけると、「おっ、この変わったコメントをしてる人のサイトは一体どんな所だろう?」と興味を持って訪問するワケです。 他所に残す(コメント本文以外の)情報は、自身の趣味嗜好の場を明らかにするための情報提供(=黒木ルール)であり、同時に、自サイトへの誘導灯の役割もあるでしょう。 他人の顔 多くのコメント欄には書き込みの際の認証手続きがないため、他人のハンドル名と他所のサイトURLを使って発言することは(やろうと思えば)可能です。 簡単に、他人になりすますことができる。 ニセモノさん コメント欄で他人になりすますことは簡単だけれども、では誰
「わらびもち」(+黒蜜&きなこ)と、「明治ブルガリアヨーグルト」(アロエ)を買ってきて、それぞれ「チョコレート効果 カカオ99%」と一緒に食べてみました。 結果。なんとか、甘さにまぎらわせて食べられる。しかし、「甘くて軟らかいもの」と「苦くて固いもの」は、咀嚼しているうちに「甘くて軟らかいもの」を先に飲み込んでしまうことになり、油断していると口の中が「苦くて固いもの」だけになるので注意が必要とわかった。いずれにせよ、調和した味とは言い難く、ごまかして食べている感は否めない。そしてこれがゆうはんでした。 「明治エッセル スーパーカップ 抹茶」というアイスクリームも買ってきてあるのですが、おそらく大差ない結果になると思われます。 あんたジャージでどこ行くの : 「件について」というタイトルが激しく萎える件について 「んも〜〜〜〜!!」とか言いながらぐてーとしてるgoogle:くだんを想像してし
射精の学習実践・高校 男と女で疑問を出し合うちょうちん持ち授業 関口 久志 Sekiguchi Hisashi 高校教諭 「わかりません」「前の人と一緒です」 これが教師の質問に答えるときの多くの生徒の一般的な言葉である。小学校から、いわゆる「落ちこぼれ」をつくり、効率だけを求めてきた「詰め込み教育」や「受験偏重教育」の結果であるが、正解だけを与え、次々と進んでいくような授業には、当然のことながら生徒間あるいは教師・生徒間の交流が入り込む余地はない。さらに、近年の教育政策を見ると、高校においては総合学科の設置、飛び級制の導入、自主活動の削減など、学びの共同体である学校・ホームルームを解体する方向で進められ、ますます生徒が孤立化させられる傾向にある。 このような状況で、高校の授業は保健も含め、本当に成立しにくくなっている。しかし、本来、保健の授業は「生存権レベルで人間をとらえ
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