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ブックマーク / masanork.hateblo.jp (2)

  • 子の安全について責任を持つのは親 - 雑種路線でいこう

    そもそも3人乗り自転車は永らく使われていたところ、実は道路交通法で規制されていたのだと警察が「交通の方法に関する教則」を約30年ぶりに改定して禁止を明記したら、親の大反発をって安全基準策定に転換した経緯があり、これは決して需要喚起のための規制緩和ではない。 基準を見直すことで需要を掘り起こすことはいいのだが、いくら母親が望んでいるとしても結果的に子どもの事故が増えたらだれが責任を取るのか。母親に自転車の3人乗りをしなくても生活できる環境を作ってやることこそ優先されるべきではないのか。 うちも解禁前の3人乗り自転車を今も次男三男の保育園の送迎に使っているし、長男が小学校に入る前、は三男を抱っこ紐で抱いて4人乗りで送迎していた。幸いなことに、これまで事故は起こっていない。 3人乗り自転車の安全基準が需要を掘り起こすための規制緩和という認識はミスリードで、もともと3人乗り自転車は広く使われて

    子の安全について責任を持つのは親 - 雑種路線でいこう
  • 知的生産の価値や成果物とは - 雑種路線でいこう

    かつて物書きになりたかった僕は、書き手としてどう世界に関わるかについて悩みがあった。それは結局のところ物書きにとっての成果物とは何だろうかという問いである。大学が決まってITライターとして駆け出しの頃、この業界で稼ぐには「文化的雪かき」の如く情報を右から左に流していくしかないように感じた。僕が渇望していたのはそうではなく、自分にとって社会的価値があると考えられる、現実を動かす営為だった。 ここで私は、「知的生産力は、『人が思わないことを、人に届ける』能力」と書いた。あくまで「思わない」であり「思いつかない」ではない。そして「人に届ける」であって「自ら思いつく」ではない。 (略) 徹底的に考え抜くのは楽しいことだし、衝突と再発明を繰り返していれば、人はいやでもそうなっていく。しかし考え抜くことそのものは、知的な行為であっても知的生産ではないのである。誰にも語られぬ熟考は、はっきり言ってしまえ

    知的生産の価値や成果物とは - 雑種路線でいこう
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