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2008年10月18日のブックマーク (2件)

  • 10/15 日経新聞の保育所制度観 - きょうも歩く

    国の財政制度等審議会で「保育園行政が少子化を促進」という報告を日経済新聞の浅川澄一がしている(全労連系だが、保育労働運動をやっている方のブログで紹介されていた)。 子どもを産まないキャリアウーマンが自分を納得させるためにちょうどよい論調が日経新聞で、公立保育所や社会福祉法人の保育所を悪者にして、市場原理が働かないからいけないという落としどころである。しかし、そうした考え方が間違っているということをこのブログは再三再四指摘してきた。そういうやり方の改革を鵜呑みにして進めた介護や医療ではサービスの崩壊が始まっている。 大上段の少子化と保育園の民営化度が関連あるかのような設定自体にムリがある。その上で保育園の未整備が子育てを控える原因になっている部分を取り上げても、それが保育所そのものの主体的な努力が足りないことに問題があるのではない。そこが日経新聞の保育に関する議論の最も間違ったところである

    10/15 日経新聞の保育所制度観 - きょうも歩く
  • 悩みの果てに「いゝこと」と感じる

    『春と修羅』、「春と修羅 第二集」などの作品の中から、賢治がトシの「死後の行方」について思い、言及した箇所を、以下に順に挙げてみます。 (1) 1922.11.27 「永訣の朝」 けふのうちに とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ 「松の針」 ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ 泣いてわたくしにさう言つてくれ 「無声慟哭」 おまへはじぶんにさだめられたみちを ひとりさびしく往かうとするか (中略) おまへはひとりどこへ行かうとするのだ (中略) どうかきれいな頬をして あたらしく天にうまれてくれ (2) 1923.6.3 「風林」 おまへはその巨きな木星のうへに居るのか 鋼青壮麗のそらのむかふ (ああけれどもそのどこかも知れない空間で 光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか (3) 1923

    悩みの果てに「いゝこと」と感じる
    urashimasan
    urashimasan 2008/10/18
    喪の仕事