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ブックマーク / mattune.hatenadiary.org (3)

  • 一貫性というのは想像力を欠いた人間の最後の拠り所である。 - まっつねのアニメとか作画とか

    とは劇作家オスカー・ワイルドの言だが、 俺はまったくその通りだと思う。 およそ、世の「作画崩壊」だの「脚が矛盾してる」だの「設定と違う」だの「作風と合わない」だのというのは まさに先のワイルドの言葉に凝縮される。 想像力が欠けているから一貫性・統一性・無矛盾などというものにその拠り所を求める。 その方が考えなくていいから。 無批判に一貫性に従っていればいいから。 もし 「この作画はキャラデザと違う、統一性がないものだからダメだ」 とか 「この脚は矛盾していて理解できない」 とか 「原作の作風と違うから見てられない」 とか そういう風に感じたのなら、想像力が弱まっているかもしれないと考えた方が良い。 「作画崩壊だ!」などと騒がない方が良い。 それはつまり 「自分は想像力を欠いた人間だ!」と叫んでいるようなものだから。

    一貫性というのは想像力を欠いた人間の最後の拠り所である。 - まっつねのアニメとか作画とか
    urashimasan
    urashimasan 2012/11/04
     ”想像力が欠けているから一貫性・統一性・無矛盾などというものにその拠り所を求める。”
  • 良質であるがゆえに批評する必要がない作品 - まっつねのアニメとか作画とか

    そう、当はいらないはずなんだ 「感動した」という言葉すらいらない。 感動は見た人間の中にあれば良い。 でも、それでも人間はその衝激を誰かに伝えたいと思う。 共有したいと思う。 表現したいと思う。 そういう衝動を言葉で表現して論理で説明すること、 それが段取り。 衝動への言い訳。 「こうこうこういう理由で俺は感動したんだ」 「こうこうこういう理由でこの作品には感動させる力がある」 多分、質は衝激そのもの。 でも他人に伝えるには段取りを経なければならない。 段取りは手段であって目的ではないはずなんだ、多分。

    良質であるがゆえに批評する必要がない作品 - まっつねのアニメとか作画とか
  • 解答:アニメが総合芸術だから - まっつねのアニメとか作画とか

    グダさんの http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20090504/1241368489#c を経由して 設問;アニメ感想はなぜ批評に近くなるのか (http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20090501/1241145763) に応えてみた。 (ちなみにこの問題についてグダさんを例にあげるのは不適当です。 なぜならグダさんはガンダムの専門家みたいなものだから。 富野に対してグダさんよりシンクロしてる人はそういないでしょう。 だから「ガンダム周辺」に限ってはまさしく評論家レベルなので、評論して普通) さて、答えはタイトルの通り、 「アニメが総合芸術だから」 です。 これにはポジティブな面とネガティブな面とがあります。 まずポジティブな方から ★アニメは話題にすべき要素が多すぎる。 まあそのまんまです。 ラノベならストーリーについてだけの感想

    解答:アニメが総合芸術だから - まっつねのアニメとか作画とか
    urashimasan
    urashimasan 2009/05/04
     "話題にすべき要素が多すぎる…それぞれの感想書いてるだけで、文章は「評論」じみていきます" "「正解の解釈」=評論" ”そこには決まった正解があると、少なくともアニメ周辺の人間は考えている”
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