FMW社長、故・荒井昌一さんがリングで歌った模様です。冒頭には私の大好きだった冬木弘道も。当時はあまりの脈絡のなさに半ば呆れたのですが、今となっては永遠に語り継がれる場面となってしまいました。FMWの映像が復刻されないかなあ。。。試合だけが5巻組みDVDで出たけど、スキット含めて出て欲しい。mylist/8488311
例によって抜き書き。書評では「行動経済の本」とあったけれど、むしろ心理学とか、マーケティングの本だと思った。 「おとり」の効果 選択枝に「おとり」を設定すると、特定の選択枝に、顧客を誘導することができる 似たような製品が販売されていると、たいていの場合、中間価格の製品が選択される。 最初から、一番売りたい製品を「中間」に設定すると、それを売ることができる 飲食店経営コンサルタントのノウハウ。価格の高い料理をメニューに加えると、たとえそれを注文する人がいなくても、 レストラン全体の収入が増える。たいていの人は、「次に高い」ものを注文するから 誘導したい選択枝によく似ていて、それよりもわずかに劣る、「おとり」選択枝を加えることで、 誘導したい選択枝がより引き立つだけでなく、競合する選択枝よりも優れているように見せることができる 相対性 「比較」されると、劣位に回った人間はそれを挽回しようと思う
OCNゲームで提供しているコンテンツについて 平素より「OCNゲーム」をご利用いただき、ありがとうございます。 誠に勝手ながら「OCNゲーム」は2018年1月31日をもちまして、サービスを終了させていただきました。 これまで長らくのご愛顧を賜り、誠にありがとうございました。 今後もお客さまへの一層のサービス向上に取り組んでまいりますので、 何卒ご理解のほどお願い申し上げます。 「OCNゲーム」終了後はコンテンツ提供元サイトにてご利用下さい。 また、ご不明な点がございましたら大変お手数ですが、 以下に記載されているコンテンツ提供事業者の問合せ窓口へ直接お問い合わせいただけますようお願いいたします。 ※OCN外のサイトとなります。
2009-01-06 競馬とパチンコ、ひどくばかげた夢、うんざりさせられる場所 競馬 < ビンボーの 原因は パチンコ > パチンコと俺、俺とパチンコ。俺はパチンコを打ったことがない。一発もだ。身近にパチンコをやる人間が一人もいなかった。狭い世界を生きている。だが、競馬狂いだ。競馬の存続、あわよくば繁栄を願っている。それゆえに、… 2009-01-06 『真・女立喰師列伝』監督:押井守/神谷誠/神山健治/辻本貴則/湯浅弘章 映画 感想文 真・女立喰師列伝 コレクターズ・BOX (初回限定生産) [DVD]出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント発売日: 2008/04/23メディア: DVD購入: 1人 クリック: 16回この商品を含むブログ (14件) を見る http://www.deiz.com/onna/ 押井守の立喰師もの映画… 2009-01-06 欲しい病 自転車
以前行っていたジムに、体重100kg超と思われるでっかい少年がよく来ていました。顔を見ると10代後半ぐらい。最初は「肥満解消のために来ているのかな」と思ったのですが、この少年の運動能力が凄いんです。有酸素運動こそ苦手そうなのですが、ウエイトマシンではどの種目もおそろしく重い負荷にセットして軽々と挙げているんですよ。おまけにストレッチでは綺麗に180度開脚して上半身全部をぺったり床につけられるという柔軟さ。話しかけて仲良くなってからわかったのですが、彼は膝の怪我のために18歳で相撲部屋を引退したばかりの元力士だったのでした。 「膝の怪我って……90度レッグプレスマシンを最高重量にセットして楽々挙げられてるのに、それでも復帰ってできないものなの?」 とあたしが聞くと、彼はにやりと笑い、「ネエさん(と彼はあたしのことを呼んでいました)、ちょっとそこに乗ってみな」とマシンのてっぺんを指差しました。
弘中 惇一郎(ひろなか じゅんいちろう、1945年10月16日 - )は、日本の弁護士。東京弁護士会所属。元自由人権協会代表理事。1964年、東京大学入学。1967年司法試験合格。東京大学法学部卒業(1968年)。司法修習22期(同期に木村晋介や筒井信隆)を経て1970年弁護士登録。数々の裁判で無罪判決を勝ち取っていることから、「無罪請負人」と呼ばれている。弁護士の弘中絵里は娘。 経歴・人物[編集] 山口県生まれ。その後、東京代々木へ転居[1]。幼稚園と小学校は成城学園。小学校6年の夏に父親の転勤で広島市東区牛田に移り住む。修道高校を経て[2]、1968年東京大学法学部卒業。弁護士の佐藤博史は高校・大学の三年後輩に当たる。 クロロキン、クロラムフェニコール、日化工クロム職業病裁判(六価クロム)など多くの薬害事件を担当したほか、マクリーン事件などを担当。ロス疑惑の銃撃事件で三浦和義の無罪[3
薬害エイズで刑事責任が確定した厚生労働省の松村元血液製剤課課長。マスコミからも裁判所からも、そして世論からも総バッシングを受けており、悪人扱いされている。 その松村元課長、実は薬害エイズ問題について多大な功績を残しているのだが、誰もその功績については触れない。あまりにも気の毒だが、どうせ誰もこんな事を気にしないと思うので、私が述べることにする。地裁判決文から引用。 被告人の生物製剤課長着任当時、既に製薬会社による臨床試験が進行中であった。生物製剤課では、昭和60年1月ころ、担当課長補佐がその進行状況を聴取し、進行の早い会社において、同年4月初めに承認申請を予定していることなどの情報を得ていた。 昭和60年3月下旬、前記4.3の帝京大学病院におけるエイズ患者の発生等の新聞報道により、血友病患者のエイズ問題に大きな社会的関心が寄せられたことから、生物製剤課では、それからまもなく、製薬会社による
雑感460-2009.1.13「環境問題に対する無力感-学生のエッセイ(その2)」 4回目の講義の際の課題 約100名の学部3年の学生を対象にした講義の後に、10分程度でエッセイを書いて出してもらった。1回目と2回目の回答については、雑感455に書いた。4回目の講義では、こういう課題を出した。 中心的な関心は温暖化問題 回答者は約100人。最も悩む問題として、6割くらいの学生が温暖化問題を挙げた。 ・温暖化予測が余りにも不確か、温暖化のリスクがはっきりしない、対策のために何をすべきか分からない、何が効果的か分からない、これだけ努力しても効果が出ないのはそもそも無理ということではないか、本来、こういう地球的レベルの環境問題には解決策はないのではないか(3名)、途上国に削減を強制できない、焼畑農業を悪いとは言えないのではないか、米国が問題だ、などの意見が並んだ。 環境影響は必然で今議論
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する、というのが憲法25条の1項なわけですが。 坂本哲志総務政務官は5日、総務省の仕事始め式のあいさつで、仕事と住まいを失った派遣労働者らを支援するために東京・日比谷公園に開設されていた「年越し派遣村」に触れ、「本当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという気もした」と述べた。そのうえで「(集まった人が)講堂を開けろ、もっといろんな人が出てこいと(言っていたのは)、学生紛争の時の戦術、戦略が垣間見えるような気がした」と続けた。 もちろん、派遣村に集った人達には多くの「本当にまじめに働こうとしている人たち」がいることでしょう。そういう人達が「働くことができない」状況に陥っていることに対して、当然政治には責任があります。それを棚にあげたこのような発言は、無責任の極みというほかありません。 その上で思うのは、25条は「すべて
渋谷区の富裕層で家庭内バラバラ殺人が連続して起こってしまった。 幡ヶ谷の武藤歯科の事件。 そしてそれより先に発生していた西新宿と神山町の死体遺棄の件で、 富ヶ谷在住の被害者の妻が逮捕された。 決して事件現場を見に行くことなどを趣味としているわけではないのだが、 先日見に行った幡ヶ谷同様、今回の富ヶ谷も自分の行動範囲内なので、 見に行ってしまった。 ウチから山手通りを南へ走る。 首都高速中央環状新宿線のジャンクション建設が進む初台交差点を過ぎ、 代々木八幡を過ぎ、井の頭通りとクロスするところが富ヶ谷交差点である。 富ヶ谷交差点から井の頭通りを代々木公園方面にちょっと行くと、 さんざんテレビで放映された11階建てマンションを容易にみつけることができる。 小田急線代々木八幡と東京メトロ千代田線代々木公園の2駅を最寄り駅とする富ヶ谷。 にぎやかな表通りに比べ、奥に入るとうら寂しい雰囲気も残っている
「3号病棟」または「第三病棟」、油彩F50号(90.9cmx116.7cm) 1976年9月の飯田市勤労福祉センターでの個展に出品され、その後1995年7月の東邦画廊での山本弘遺作展にも出品された。 題名は山本が入院していた飯田病院の精神科の病棟の名前、山本はアル中の治療のため入院していたが、精神科の患者たちと一緒の病棟の施錠された病室に入れられていた。この絵のモデルが本人なのか他の患者を描いたものなのか分からない。顔の感じは本人を思わせるのだが。東邦画廊の中岡氏はこれを山本弘の代表作だと言う。技法的にも優れているそうだ。 似た題材の絵で、山本の住んでいたアパートの大家さんの半ば狂ったお婆さんを描いたものもあった。中岡氏の主張を聞きながら、こんな絵が代表作というのも辛いなあと思った。しかし、いつもながら山本は色彩も筆触も見事だ。 (遺族所蔵)
これについては数年前に書いた「空中炸裂する白燐弾を検証」もご覧下さい。というよりは、カテゴリ「白リン弾」に掲載されている記事を見て頂ければ、数年前のファルージャ白燐弾狂想曲の様子を知る事が出来ます。あの時、あれだけ大騒ぎしていたのに、白燐弾について一過性で終わってしまいました。地雷やクラスター爆弾のように規制する動きはついぞ出て来ず、国際的にも国内的にも白燐弾騒動は急速に忘れ去られてしまっています。 これは白燐弾を非難していた反戦平和団体が、白燐弾の事を実態よりも遥かに強力な兵器として喧伝した結果「謎の超兵器」と化してしまい、その虚像が暴かれ、相手にされなくなった事によります。思えばあの時、常識的な範囲内での糾弾に徹していれば、白燐弾の規制は進んでいた筈でした。白燐に近い種類でありながら毒性が無い赤燐(ただし燃焼して発生する煙は同じ五酸化二燐であり、発煙や焼夷効果を問題視する場合は白燐と意
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