八切止夫は、これまでの歴史の常識を覆す様々な説を唱えていた。「日本原住民論」もその一つで、端的にいえば「大和朝廷は外来政権であり、それ以前に存在していた先住民族の末裔が部落民やサンカである」というものであった。 ただ八切史観では、これらの「原住民」は、長い歴史を通じて皇統のいずれかに繋がっており、皇室こそが原住民統合のシンボルであると想定していた。そのため、八切本人は左翼思想の持ち主というわけではなかった[1][2]。 ところが、この「日本原住民論」は、八切本人の与り知らぬところで、日本の新左翼に利用されることになった。 潜伏中の共産主義者同盟赤軍派幹部・梅内恒夫は、八切の日本原住民論に触発され、「共産主義者同盟赤軍派より日帝打倒を志すすべての人々へ」を発表した。ここに初めて「日帝打倒」の根拠が「明治以降の大日本帝国の悪行」から「日本建国時の原住民迫害」に大きくシフトすることになった。窮民