2010年10月13日のブックマーク (8件)

  • 青山ブックセンター:志賀理江子 『CANARY』 (写真)

    『CANARY』 志賀理江子 デザイン:森大志郎 出版社:赤々舎刊 販売価格:¥5,250(税込) (体価格:¥5,000) 注文数 冊 ─ あとがきより 撃たれて死ね。 印画紙が証拠品となる。プリントされた像は生ものであるかのごとく臭気を帯び、目の前にたちあらわれた。この世の時間軸が写真側にあるとすれば、私は全くその圏外にいて、“現在”という宙ぶらりんでつかむことができない不確かなものから逃れようと、その確かに存在する軸への手がかりを必死に探す。 私という死に向かう、流れる時間そのものに対し、止まった時を作る行為は祈りに似て、自己と対立する存在への強い欲望、執着の線上にイメージは成り立つ。 撮影の際、偶然を引き起こす仕掛けを自ら作り込み、なおかつ自分が意識的に持つビジョンのコントロールを失うべく、予測不可能にカメラに撃たれることを待っている。 写真を撮る『shoot』=撃つ、殺す

    urbansea
    urbansea 2010/10/13
    あとがき「撮影の際、偶然を引き起こす仕掛けを自ら作り込み、なおかつ自分が意識的に持つビジョンのコントロールを失うべく、予測不可能にカメラに撃たれることを待っている。」
  • 250円の牛めし食べてみた - Chikirinの日記

    最寄り駅の駅前には安いご飯屋さんが何軒も並んでます。 チェーン店が多いけど、地元系の格安店も混じってて、カレー専門店、総菜&弁当屋、蕎麦屋、ラーメン屋、中華系格安ご飯屋、牛丼屋、回転寿司などいろいろ。 その中でもここ 1週間だけ限定で、松屋が牛めし(並)を 250円にしているのが気になってました。 てか、ちきりんは基は自炊派なので、大半の店に入ったことがありません。 なんだけど、“牛丼戦争”は話題になっているし、「いったいこういう値段のべ物ってどうなのよ?」ってずっと興味がありました。 で、ニートになったことだし記念にべに行ってみました。 お店の前のポスターだと、結構おいしそうじゃん。女性がいないのが気になるけど・・ 下記は実物を携帯カメラで撮ったモノ。あと、お味噌汁がついてきます。 でてきた瞬間の見た目はちょっと“みすぼらしい“感じでしたが、味はまあまあでした。ごはんにレトルトをか

    250円の牛めし食べてみた - Chikirinの日記
    urbansea
    urbansea 2010/10/13
    社会派ならば、孤独のグルメでおなじみの、山谷の「きぬ川」にも行くべきだろう。
  • 永代供養 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "永代供養" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年4月) 永代供養(えいたいくよう)とは、数世代にわたる比較的長期の年月をかけて、死者を供養する行為を指す。 用例[編集] 来は、子々孫々の代まで先祖を祀り供養する宗教行為を指していたが、現代では多くが墓園業者や寺院の営業用語として使われることが多い。広告に永代供養を謳うものが多いが、「永代」という言葉の使用による誤解からトラブルが発生するおそれが多い。実際には 10回忌、30回忌や50回忌までといった内規がある場合や、墓を継承すべき子孫が改宗などで檀家を辞めるなどして信

    永代供養 - Wikipedia
    urbansea
    urbansea 2010/10/13
    江戸時代に檀家の減少による収入減を補う目的で僧侶が発案した商業手法、お布施をまとめて集金する当時の画期的な新システム。当時最新のビジネスであった先物取引への投資や貸金業を営む際の原資とした寺院も存在。
  • 高い城の男 - Wikipedia

    『高い城の男』(たかいしろのおとこ、原題:The Man in the High Castle)は、アメリカSF作家フィリップ・K・ディックの歴史改変SF小説。第二次世界大戦で枢軸国が勝利し、アメリカが東西に分断されている世界を舞台としている。1962年に発表され、1963年のヒューゴー賞 長編小説部門を受賞した。 日では1965年に川口正吉によって翻訳され、ハヤカワ・SF・シリーズ(早川書房)から刊行された。1984年から新たに浅倉久志による新訳版がハヤカワ文庫から出版された。 2015年、ドラマ化が発表され[2]、同年11月からAmazonビデオにおいてドラマ『高い城の男』の配信が開始された。 概要[編集] 第二次世界大戦が枢軸国の勝利に終わり、大日帝国とナチス・ドイツによって分割占領されている旧アメリカ合衆国領を舞台にした人間群像劇。 歴史改変SFでは珍しくない設定だが、作品内

    高い城の男 - Wikipedia
    urbansea
    urbansea 2010/10/13
    フィリップ・K・ディック ドイツ(発表・出版当時の西ドイツ)では反ナチ法に抵触しているとされ発禁処分となっている。
  • ゲンリフ・ヤゴーダ - Wikipedia

    逮捕時のマグショットにおける若き日のヤゴーダ(1912年) ゲンリフ・グリゴリエヴィチ・ヤゴーダ(ゲーンリフ・グリゴーリエヴィチ・ヤゴーダ、ロシア語: Ге́нрих Григо́рьевич Яго́да、ラテン文字転写の例:Genrikh Grigoryevich Yagoda、ユリウス暦1891年11月7日(グレゴリオ暦11月20日) - 1938年3月15日)は、ソビエト連邦の政治家。初代NKVD(内務人民委員部)長官。国家保安総委員(1937年1月に予備役編入)。ヨシフ・スターリンの命令無しに動くことは決してなかったため、「コウモリ」というあだ名が付いた。 なお、姓は日語文献内ではヤゴダあるいはヤーゴダと書かれることもあるが、ヤーゴダは誤った転写である。また、名前に関してもドイツ語を意識してゲンリヒと書かれることがあるが、ロシア語に沿った表記ではゲンリフとなる。 生涯[編集]

    ゲンリフ・ヤゴーダ - Wikipedia
    urbansea
    urbansea 2010/10/13
    取調べや拷問がスターリンの期待よりも「生ぬるく」、なかなか粛清を拡大させることができず、次第にスターリンに失望されていった。死の直前、彼は「この世に神は存在する」と述べたと言われている。最期は粛清。
  • Blue-Periodさんの日記

    希望して泌尿器科から病院へ紹介してもらい、CT、3度の検査で膀胱癌の疑いは晴れ、6mmの右尿管結石が血尿の原因となる。止血剤をもらい、その後初回から2週間置き、計3回の血尿はなくなり、ウロカルンで自然排出を待つ。10/17〜18に腰の鈍い痛みがあり坐薬と飲み薬で痛みを散らす。19日に耐えがたい痛みで職場を抜けて職場近くの医者で坐薬。超音波で右の水腎症を確認。さらに追加で痛み止め。 病院処方 ウロカルン錠剤225mg x3週間分 ジクロフェナクナトリウム50mm(JG)坐薬 x5 ロキソプロフェン60mg(EMEC) x5 レバミピド錠100mg(EMEC) x5 職場近くの医者処方 ボルタレンサポ50mmg x5 チアトンカプセル10mg x2週間分 夕刻、赤褐色の尿あり。 禁煙と減量の再開要。 診察は・・・経過を見て。 第98回覇者は取ったのと、脱セレスタミンで生活が厳しい状態にウンザリ

    Blue-Periodさんの日記
    urbansea
    urbansea 2010/10/13
    月本裕が英国の競走馬ケイティーズの馬主についてに書いたのが「賭ける魂」であるが、このブログには「走る魂」と「撮る魂」がある。
  • 金子満 - Wikipedia

    金子 満(かねこ みつる、1939年1月 - 2018年6月15日[1])は、日のアニメーション・プロデューサー、ディレクター、シナリオライター。「日のコンピュータグラフィックスの父」と称される[2]。 東京都出身。東京工業大学大学院後期博士課程修了。学位は博士(学術)。東京工科大学大学院教授、東京工科大学片柳研究所教授を務めた。は女優の浜美枝。 経歴[編集] 父は映画配給会社・東宝の重役を務めた。 慶應義塾大学法学部を卒業後、フジテレビジョンに入社した。フジテレビの編成部で『日清オリンピックショウ 地上最大のクイズ』や『第7の男』[3]『ゼロファイター』などを手掛ける。1964年に手掛けた『ゼロファイター』では制作方針の混乱から、当時のスポンサーが完成作品を敬遠して1969年まで「お蔵入り」を招く失敗を経験した[4]。その失敗を経て、フジテレビの社内留学制度で南カリフォルニア大学シ

  • 平民新聞 - トンボロ

    敬愛するブログ「平民新聞」の平民金子さんと会った。書きたいことが有りすぎて上手く整理できないけれど、拙いながら書いてみようと思う。 初めて平民新聞を読んだのは2008年1月21日のことだった。はてなブックマークの新着記事から見つけた、「エノキ炒め」という記事に衝撃を受けたのを覚えている。ブログには何を書いても自由なのだと目が覚める思いだった。ブログの更新を毎日追いかけるようになり、「と私」、「カレーの一生」、「残雪遊覧日記」といった素敵な記事を立て続けに読んだ。いずれも僕にとっては写真やブログについての考え方を覆すものだった。 当時の僕は少なからず平民さんと似通った生活をしていて、料理にはカセットコンロを使い、風呂の無いアパートに暮らしていた(今も住んでる)。こういう生活している人は僕のほかにいるんだろうかと閉塞感を持っていたときに、平民新聞を知って、世界が一挙に広がったように思われた。