2012年11月4日のブックマーク (5件)

  • この本には、異常な地方が描かれているのではない。 - Freezing Point

    むしろ、私たちの日常が曝露されている。 あのとき、大川小学校で何が起きたのか 作者: 池上正樹,加藤順子出版社/メーカー: 青志社発売日: 2012/10/24メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 18人 クリック: 2,098回この商品を含むブログ (8件) を見る 行きなれた目の前の山に逃げれば、*1 亡くなった子どもたち74人が全員助かっていたのに、 地震発生から50分間も校庭に待機させた。 「山に逃げよう」と声をあげた子どもたちもいたのに、 わざわざ連れ戻してまで校庭にいさせた。 その事実を市長や教育関係者が徹底的に揉み消し、 時間のつじつまをごまかし、聞き取りのメモを捨て、 「頑張って逃げようとしていたが、間に合わなかった」 ことにした。 制度の前提がおかしい 「学校管理下で死亡事故が起きた場合の対応として、報告しなければならないという法律の根拠がないのです」(文部科学省の「

    この本には、異常な地方が描かれているのではない。 - Freezing Point
    urbansea
    urbansea 2012/11/04
    「非日常の状況下で、日常的な配慮が人を殺した」 「問われているのは、《順応すること》、それ自体だ。」…校門圧死事件も同様。アイヒマンの「私の罪は従順だったことだ。」である。
  • 【衝撃事件の核心】暴走族を自滅させた6つの掟 総長らが憧れた硬派な姿とは+(1/4ページ) - MSN産経ニュース

    新興の暴走族はわずか8カ月で自滅した。暴走族の掟(おきて)を破った2代目メンバーに殴る蹴るなどの暴行を加えたとして、東京都足立区を拠点とする暴走族「侍誠(じせい)会」初代メンバーの少年4人が10月、警視庁少年事件課に傷害容疑で逮捕された。同会には初代総長らが定めた6つの掟があり、初代総長らにとってはお灸を据えたつもりだったが、2代目の反発を受けて同会は事実上解散した。初代総長らが憧れたという硬派な暴走族の姿とは…。(荒船清太)20キロ離れた埼玉へ…公園に呼び出し、暴行 事件の発端は、足立区から約20キロ離れた埼玉県春日部市で起こった。7月15日の日曜日。3連休の中日に開かれた「春日部夏まつり」で、同会2代目副総長(16)と2代目特攻隊長(16)がかけ声に合わせ、みこしを担ぐ姿があった。 だが、その数時間後、初代副総長(18)からの電話で2人のお祭り気分は一気に吹き飛んだ。「お前たち、いまど

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    urbansea 2012/11/04
    記者の名前が荒船清太。清十郎の孫かなにかか?
  • メニュー撤去にマクドナルド原田社長が反論 | 企業戦略 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

    10月1日からマクドナルドの大半の店舗で、レジカウンターの前にあるメニューが消えた。ツイッターや情報サイトでは、「セットメニューを売るためでは」「高齢者や視力の弱い人には注文しづらい」といったコメントも飛び交っている。会社側の真意はどこにあるのか。  11月1日に開かれた日マクドナルドホールディングスの決算説明会の場で、原田泳幸社長は「なぜカウンターメニューを撤廃したのか」という記者の質問に答えた。  顧客が求めているのは、いかに早く商品やサービスを提供できるかというスピード感であり、従来のようにレジでメニュー見ながら商品を注文する形では後ろに並ぶ顧客のフラストレーションをためてしまう、というのが会社側の判断だ。  同社は1年以上にわたって、カウンターメニューを取り払った場合、顧客満足にどうつながるのか、商品の提供スピードをどのくらい短縮できるのかという検証を進めてきた。そもそも、レジウ

    urbansea
    urbansea 2012/11/04
    キヤノンの工場化するマクドナルド。あるいは発注の仕方くらい客が覚えるべきという二郎化
  • 田中禄春 - Wikipedia

    田中 禄春(たなか ろくしゅん、1922年4月23日 - 2018年1月13日)は、在日韓国・朝鮮人の実業家。在日大韓民国民団中央・大阪部常任顧問。富士観光社長[1]。元暴力団員で、三代目山口組に加入し富士会(現在の一心会)を設立した。名は韓禄春(ハン・ロクチュン、한록춘)。 来歴[編集] 大日帝国領朝鮮江原道高城郡(現・韓国江原道高城郡)で生まれる。14歳の時に単身で来日し、大阪大阪市港区のバー「黒」で、ボーイ兼皿洗いをして働いた。終戦直後はうどん屋の闇商売を始め、昭和23年(1948年)、大阪ミナミに小料理屋「新宿」を出店。その後、曽根崎警察署の裏に、キャバレー「ヴィーナス」をオープンさせた。 山口組加入後[編集] 昭和28年(1953年)には、大阪ミナミの宗右衛門町にマンモスキャバレー「富士」をオープン。しかし、地元の愚連隊・春日会や西宮市の諏訪組系柏木組からみかじめ料な

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    urbansea 2012/11/04
  • 中川猪三郎 - Wikipedia

    この記事の内容の信頼性について検証が求められています。 確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。出典を明記し、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。議論はノートを参照してください。(2009年4月) 中川猪三郎(なかがわ いさぶろう、生没年不詳)は、昭和の大阪十三(淀川区)に一家を構えたヤクザの親分。三代目山口組の組長である田岡一雄の舎弟で中川組組長。 古くからウルサイ土地柄で知られる十三で昔ながらの博徒タイプの親分として知られた。筋は通すが面倒見のよい人物。長く中川組は一(独立組織)と思われていたが田岡組長との縁は長く周囲に人がいない時は三代目は「兄弟」とよんでいたとされる(映画監督西原儀一の証言)。当時はヤクザも筋目を大事にする風習があり、山口組の大阪進出により愚連隊の柳川組や新興団体の富士会(韓録春)が盃を貰う際も中川親分が取り持つ形となっている。 前出の西

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    urbansea 2012/11/04
    >>ちなみにやくざ映画の撮影ローケーションで十三が多かったのは、交通の激しい中心部から離れてやりやすかったのと中川親分がいたため面倒が無かったという説がある。